武里村 (埼玉県)
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たけさとむら 武里村 | |
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廃止日 | 1954年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 南埼玉郡春日部町、豊春村、武里村、 北葛飾郡幸松村、豊野村 → 春日部市 |
現在の自治体 | 春日部市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 南埼玉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,417人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 南埼玉郡春日部町、豊春村、岩槻町[1954年(昭和29年)5月3日までは川通村]、大袋村、桜井村、北葛飾郡豊野村 |
武里村役場 | |
所在地 | 埼玉県南埼玉郡武里村 |
座標 | 北緯35度56分36秒 東経139度46分03秒 / 北緯35.94331度 東経139.76758度座標: 北緯35度56分36秒 東経139度46分03秒 / 北緯35.94331度 東経139.76758度 |
ウィキプロジェクト |
武里村(たけさとむら)は、埼玉県の中東部、南埼玉郡に属していた村。
地理
[編集]- 河川:大落古利根川、新方川、会之堀川、備後川、安之堀川、谷原落、中之堀川、武徳川
- 旧武里村の地域は春日部市備後(びんご)東、備後西、薄谷(すすきや)、武里中野、一ノ割(一部)、大場、大畑、大枝、増田新田の地域。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、備後村、一ノ割村、薄谷村、中野村、大場村、大畑村、大枝村、増田新田が合併し南埼玉郡武里村が成立する。村役場を大字備後(現、備後西)に設置[1]。
- 1899年(明治32年)12月20日 - 地内に東武鉄道伊勢崎線が建設され、武里駅が開業する。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 南埼玉郡春日部町、豊春村、北葛飾郡幸松村、豊野村と合併し春日部市となる。武里村は春日部市の地区名となる[1]。
備考
[編集]明治22年以前の地名(小字)は以下のとおり
- 東谷原新田、西谷原新田(袋前、八木崎、二十四町、竪沼、長縄、長割、大沼、中通、於茂連、下耕地)
- 一ノ割村(出土耕地、上川耕地、島野谷耕地、下川耕地、島耕地、諏訪耕地、上根耕地、油子耕地、中根耕地、下根耕地、砂田耕地、立野耕地、下沖耕地、中沖耕地、上沖耕地、谷原耕地)[2]
- 薄谷村(中道耕地、久仏、谷原耕地、土手外耕地、木揚場耕地)
- 中野村(根耕地、北耕地、南耕地、丑之発耕地、新田耕地、五丁歩耕地、谷中耕地、谷原耕地、長島耕地)
- 増田新田(東耕地、南耕地、北耕地、西耕地)
- 大場村(裏耕地、前野耕地、前耕地、下谷中耕地、長島耕地、沼端耕地、上谷中耕地、中谷中耕地)
- 大畑村(横割耕地、杉の口耕地、前耕地、砂間耕地、東下田耕地、西下田耕地、西巳の起耕地、東巳の起耕地)
- 大枝村(屋敷前耕地、池之端耕地、井堀内耕地、井堀外耕地、千間堀向耕地)
- 備後村(田島耕地、正善耕地、立野耕地、宮田耕地、一の縄耕地、須賀耕地、大道東耕地、堤外耕地、谷原耕地)
交通
[編集]鉄道
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]- 峯島茂兵衛(旧姓・瀬尾、東京の大地主、質商、尾張屋信託社長、尾張屋銀行頭取)
脚注
[編集]- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 542頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1408頁。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。