コンテンツにスキップ

武藤香織

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武藤 香織むとう かおり
生誕 1970年(53 - 54歳)
日本の旗
研究分野 保健学
社会科学
人文科学
研究機関 東京大学医科学研究所
東京大学新世代感染症センター
出身校 慶應義塾大学文学部
慶應義塾大学大学院
東京大学大学院
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

武藤 香織(むとう かおり、1970年 - )は、日本保健学者学位博士(保健学)東京大学2002年)。東京大学医科学研究所 教授東京大学新世代感染症センター 主任研究員[1]

これまでに財団法人医療科学研究所 研究員ブラウン大学 博士研究員信州大学医療技術短期大学部 講師、信州大学医学部 講師、東京大学医科学研究所 准教授などを歴任した。

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

1989年平成元年)4月慶應義塾大学文学部に進学し、人間関係学科の人間科学専攻にて学んだ。1993年(平成5年)3月、慶應義塾大学を卒業した。同年4月、慶應義塾大学の大学院に進み、社会学研究科にて学ぶ。1995年(平成7年)3月、慶應義塾大学の大学院における修士課程を修了した。同年4月東京大学大学院医学系研究科に進学。1998年(平成10年)3月、同大学院における博士課程を単位取得満期退学した。

保健学者として

[編集]

大学院生である1997年(平成9年)9月の時点で、既に医療科学研究所の研究員として着任していた。医療科学研究所には2000年(平成12年)5月まで勤務した。その後、アメリカ合衆国に渡り、同年7月ブラウン大学博士研究員となった。ブラウン大学では地域保健学教室に在籍し、2002年(平成14年)6月まで勤務した。なお、その間の2001年(平成13年)7月から2002年(平成14年)3月にかけて、厚生労働省のリサーチレジデントとなり、北里大学にて研究を行った。また、2002年(平成14年)4月には信州大学に転じ、医療技術短期大学部講師に就任した。ただし、医療技術短期大学部は医学部保健学科に改組されたため、それに伴い同年10月より医学部の講師となり、2007年(平成19年)3月まで務めた。2007年(平成19年)4月、母校である東京大学に転じ、医科学研究所准教授に就任した。医科学研究所においては、主として公共政策研究分野において研究を行った。准教授は2013年(平成25年)1月まで務め、翌月に教授に昇任した。なお、大学院においては、学際情報学府の学際情報学専攻にて文化・人間情報学コースの講義なども担当した[2]

そのほか、公的な役職なども多数務めている。厚生労働省においては、2010年(平成22年)よりレセプト情報等の提供に関する有識者会議の構成員を兼任している。内閣官房においては、2015年(平成27年)よりゲノム医療実現推進協議会の構成員や健康・医療戦略推進専門調査会の委員を兼任している。2020年令和2年)、日本での新型コロナウイルス感染症の流行を受け、内閣に新型コロナウイルス感染症対策本部が設置されると、その下で発足した新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の構成員を兼任することになった。

略歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ The UTOPIA Center Members”. The UTOPIA Center (2023年2月15日). 2023年2月15日閲覧。
  2. ^ 「武藤香織」『東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 – 武藤 香織東京大学大学院情報学環・学際情報学府

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]