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武内竜次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1963年4月25日、ホワイトハウスにて

武内 竜次(たけうち りゅうじ、旧字体武內 龍󠄂次󠄁1903年明治36年〉5月1日 - 1999年平成11年〉9月6日[1]は、日本外交官外務事務次官駐米大使などを歴任。

経歴

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1903年(明治36年)5月1日清国順天府(現:北京市)生まれ。旧制高千穂中学校(第8回)卒業。旧制佐賀高等学校文科甲類[2]を経て、東京大学法学部[3]

1927年(昭和2年)外交官試験に合格し、オックスフォード大学留学、イギリス上海ドイツ国ソビエト連邦在勤、外務省政務局第三課長(ソ連課長)などを経て[3]戦後、1945年(昭和20年)終戦連絡中央事務局第二部長[4]。1946年(昭和21年)外務省参事官兼終連事務局第五部長。同年終戦連絡札幌事務局長(のち北海道連絡調整事務局長)[5]。1948年(昭和23年)京都連絡調整事務局長[6]。1949年(昭和24年)戦後新設なった通産省の初代通商局長(通商監)を歴任。

吉田茂の外交をささえ、1951年(昭和26年)在ワシントン日本政府在外事務所所長[7]、1952年(昭和27年)在アメリカ大使館公使、1952年(昭和27年)9月 初の国際連合代表部公使となる。欧米局長[3]ベルギー西ドイツの大使などを経て1960年(昭和35年)外務次官。1963年(昭和38年)アメリカ大使として赴任。1967年(昭和42年)6月帰朝、同年9月退官。退官後は、日本航空株式会社顧問、日本ロシュ株式会社会長などを歴任。1973年(昭和48年)11月勲一等瑞宝賞を受ける。1999年(平成11年)9月6日死去。

栄典

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脚注

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  1. ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “武内竜次とは”. コトバンク. 2020年12月5日閲覧。
  2. ^ 「旧制高等学校物語 第17」財界評論社 1968年
  3. ^ a b c 「日本近現代人物履歴事典」342頁 東京大学出版会 2002年
  4. ^ 官報 1945年10月09日
  5. ^ 官報 1946年10月19日
  6. ^ 官報 1948年05月22日
  7. ^ “華府在外事務所承認さる”. 夕刊讀賣. (1951年7月20日). p. 1 

参考文献

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  • 高千穂学園八十年編集委員会編『高千穂学園八十年史』(学校法人高千穂学園、1983年)

関連項目

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先代
新設
終戦連絡中央事務局第二部長
1945年
次代
西山勉
先代
奥村勝蔵
終戦連絡中央事務局第五部長→管理部長
1946年
次代
磯野勇三
先代
工藤忠夫
終戦連絡札幌事務局長→北海道連絡調整事務局長
1946年 - 1948年
次代
久保田貫一郎
先代
吉岡範武
京都連絡調整事務局長
1948年 - 1949年
次代
磯野勇三
先代
新設
通商産業省通商局長
1949年
次代
黄田多喜夫