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正親町院左京大夫

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正親町院左京大夫(おおぎまちいんのさきょうのだいぶ、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人

経歴

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土御門天皇皇女正親町院覚子内親王[* 1]に出仕[1]していたこと以外、伝記情報に乏しい。『続後拾遺和歌集』以降の勅撰集に5首入集とする資料[2]もあるが、確認できない[* 2]歌合に作品を残している。

作品

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定数歌歌合
名称 時期 作者名表記 備考
河合社歌合 1243年(寛元元年)11月17日 正親町院左京大夫 藤原為教と番い勝1持2
私家集
  • 家集は伝存しない。

脚注

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注釈

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  1. ^ 1213年(建保元年) - 1285年(弘安8年)8月23日、土御門皇女、母源通宗典侍通子、1243年(寛元元年)6月26日院号宣下。法名真如。
  2. ^ 後代に左京大夫を名乗った他の女房歌人との混同、あるいは正親町院右京大夫との混同があるか。

出典

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  1. ^ 『日本古典作者事典』
  2. ^ 三好.吉井(2010).

参考文献

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  • 三好優希、吉井佐織「解説『河合社歌合』とその周辺」『尾道大学日本文学論叢』別冊、尾道大学日本文学会、2010年12月、77-98頁、CRID 1390853647692194816doi:10.18899/nic.bet.04ISSN 1880-215XNAID 120005377211 

関連項目

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