正岡旭
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正岡 旭(まさおか あきら、1902年(明治35年)4月25日[1][2] - 没年不明)は、日本の医師(産婦人科医)[1][3]。医学博士[1][3][4]。広島市医師会会長[5]。正岡病院院長[6]。
人物
[編集]広島県・政太郎の長男[1]。1928年、岡山医大卒業[1][3]。同大学安藤産婦人科教室に入り1933年6月まで勤続[2]、研究[3]。1932年、学位を受く[4]。1933年、正岡産婦人科医院開設、院長就任[6]。1955年、第21回広島県医師会代議員会会長をつとめた[7]。
1972年、勲四等叙勲[6]。宗教は真宗[1][2]。趣味はスポーツ[1]、粘土細工、陶器[2]。住所は広島市猫屋町[1][4]。
家族・親族
[編集]- 正岡家
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』広島27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月12日閲覧。
- ^ a b c d 『日本医籍録 昭和15年版』広島県8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月12日閲覧。
- ^ a b c d 『広島県紳士録 昭和8年版』61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月12日閲覧。
- ^ a b c 『学位大系博士氏名録 昭和10年版』210頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月12日閲覧。
- ^ 歴代会長一般社団法人 広島市医師会。2018年10月12日閲覧。
- ^ a b c 病院概要、沿革、正岡病院公式サイト。
- ^ 沿革、昭和30年、広島県医師会公式サイト。
- ^ 『日本紳士録 第35版』広島マの部22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 大日本博士録編輯部編『学位大系博士氏名録 昭和10年版』発展社出版部、1931 - 1935年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 医事時論社編『日本医籍録 昭和15年版』医事時論社、1941 - 1942年。