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橘百枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
橘百枝
時代 奈良時代後期 - 平安時代前期
生誕 宝亀6年(775年
死没 仁寿4年4月2日854年5月2日
官位 従四位下伊勢介
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇文徳天皇
氏族 朝臣
父母 父:橘綿裳
兄弟 継成、百枝
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橘 百枝(たちばな の ももえ)は、平安時代初期の貴族従四位上橘綿裳の子。官位従四位下伊勢介

経歴

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延暦18年(799年内舎人に任ぜられる。大同2年(806年)に発生した伊予親王の変連座して、常陸員外掾左遷される。

その後罪から許されたらしく、嵯峨朝末の弘仁13年(822年従五位下叙爵淳和朝天長7年(830年)従五位上・伊勢介に叙任される。仁明朝後半に昇進し、承和13年(846年正五位下、承和15年(848年従四位下に至る。長命を保ち、桓武平城・嵯峨・淳和・仁明・文徳の六朝に仕えた。仁寿4年(854年)4月2日卒去享年80。最終官位散位従四位下。

人物

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文書を理解できなかった一方、猟犬などの狩猟を好み、常に漁撈狩猟を行い休むことがなかった。剃髪して僧侶となり、臭いの強い野菜を食さなかった。大和国山辺郡に邸宅があったが、ある時に、池のが崩れ壊れるほどの洪水により、建物はことごとく流失してしまったが、百枝だけは身体を木に紐で繋ぎ止めて、僅かに生き残ることができたという[1]

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 日本文徳天皇実録仁寿4年4月2日条