橋本善吉
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橋本 善吉(はしもと ぜんきち、1881年(明治14年)[1] - 1943年(昭和18年)[2])は、朝鮮九龍浦に居住した日本人実業家。橋本善吉商店店主[3][注 1]。
経歴
[編集]香川県大川郡小田村(のち志度町、現・さぬき市)出身。九龍浦に移住し、妹婿植村倉太郎と共同で鮮魚運搬業を経営する[2]。所有船は海興丸、鷹丸、千代丸、平安丸で、九龍浦を根拠地に朝鮮・関東州方面を活動舞台にする[2]。その他大敷・巾着網漁業、イワシ加工など手広く経営する[2]。
有志と協力して小学校創設に努力して、これを実現する[1]。1938年7月に朝鮮慶尚北道九龍浦公立尋常高等小学校増築費金1322円を寄付したため、1939年12月に褒状を下賜される[4]。学校組合管理者に挙げられる[1]。
人物
[編集]橋本善吉の2階建ての木造家屋は日本の敗戦後、個人の住宅として利用されていたものを、浦項市が買い入れて修理し、「九龍浦近代歴史館」として使用している[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 『朝鮮功労者名鑑』893 - 894頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月23日閲覧。
- ^ a b c d 『新編志度町史 下巻』151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月23日閲覧。
- ^ a b c d 『公認大日本商工信用録 昭和11年 満鮮版(附・九州台湾)』朝鮮26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月23日閲覧。
- ^ 『官報 1940年01月04日』官報 第3896号 20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月24日閲覧。
- ^ 呉宣児・大沼久夫・徐相文「近代歴史文化遺産としての植民地期(日帝強占期)の日本人集住地区復元の動き-韓国南東部海岸にある浦項市の九龍浦を中心に-」。