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樽見鉄道オハ1000形客車

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国鉄12系客車 > 樽見鉄道オハ1000形客車
樽見鉄道オハ1000形客車
スハフ1100形
基本情報
運用者 樽見鉄道
製造所 富士重工業日本車輌製造新潟鐵工所[1][2][3]
製造初年 1970年[1]
導入年 1990年[4]
総数 オハ1000形:3両
スハフ1100形:2両[5]
廃車 2005年[6]
主要諸元
軌間 1,067 mm
最高運転速度 65[7] km/h
設計最高速度 110[9] km/h
車両定員 オハ1000形:133名(座席88名)
スハフ1100形:127名(座席80名)[7]
自重 オハ1000形:28.5 t
スハフ1100形:34.0 t[7]
全長 21,300[7] mm
車体長 20,800[8] mm
全幅 2,993[12] mm
車体幅 2,903[12] mm
全高 4,085[7] mm
車体高 3,620[8] mm
床面高さ 1,230 mm[8]
車体 普通鋼 [8]
台車 枕ばね:下揺れ枕式空気ばね
軸箱支持:軸ばね式
TR217(オハ1000形)、TR217A(スハフ1100形)[10][11][12][13]
車輪径 860 mm[14]
固定軸距 2,000 mm[8]
台車中心間距離 14,300 mm[8]
制動装置 CLブレーキ装置[7]
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樽見鉄道オハ1000形客車 (たるみてつどうオハ1000がたきゃくしゃ)は、東海旅客鉄道(JR東海)からオハ12形客車3両を譲受し、1990年平成2年)から2005年(平成17年)まで使用された樽見鉄道客車である[15][16][6]。同様にJR東海から譲受したスハフ12形客車2両を改番した樽見鉄道スハフ1100形客車 (たるみてつどうスハフ1100がたきゃくしゃ)とともに運用された[1]。本項ではスハフ1100形についても記載する。

概要

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1984年(昭和59年)10月に日本国有鉄道(国鉄)樽見線第三セクターに転換して開業した樽見鉄道[17]では、開業時から国鉄オハフ33形客車を改造、改番したオハフ500形客車による列車をラッシュ時に運転していた[17][18]が、これの置き換えのため、1990年(平成2年)、1992年(平成4年)にJR東海から12系客車計5両を譲受し、オハ1000形、スハフ1100形とした[15][19]1994年(平成6年)にJR東海から14系客車5両を譲受してオハ2000形、スハフ2200形とし[20]、オハ1000形、スハフ1100形はオハ2両を廃車の上オハフ800形客車に代わって沿線の淡墨桜観光用の臨時列車「うすずみファンタジア」専用化され、うすずみ1形客車と編成を組んで使用された[19]2006年(平成18年)3月に樽見鉄道の貨物列車、機関車牽引客車列車が廃止されるのに先立ち、2005年(平成17年)3月に廃車された[6]

車体・機器類

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樽見鉄道では国鉄、JR時代と車体には外部塗装を除いて変化がない[19]。入線時は車体裾の帯が二重線となっていたが、1999年(平成11年)ごろに車体裾の帯が消され、窓下の帯色が桜色に変更されている[19]。スハフの側面窓下には樽見鉄道の社章が描かれた[19]

車歴

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オハ1000形・スハフ1100形車歴
形式 車両番号 製造 製造所 国鉄番号 JR廃車 樽見入籍 樽見廃車
オハ1000 1001 1970年2月[1] 富士重工業[1] オハ12 84[1] 1990年3月[1] 1990年3月[4] 1994年2月[21]
オハ1000 1002 1970年4月[1] 新潟鐵工所[1] オハ12 102[1] 1990年3月[1] 1990年3月[4] 2005年3月[22]
オハ1000 1003 1970年3月[1] 富士重工業[1] オハ12 142[1] 1990年3月[1] 1990年3月[4] 1993年8月[21]
スハフ1100 1101 1970年3月[2] 富士重工業[2] スハフ12 42[2] 1990年3月[2] 1990年3月[4] 2005年3月[22]
スハフ1100 1102 1970年3月[3] 日本車輌製造[3] スハフ12 56[3] 1992年3月[3] 1992年3月[23] 2005年3月[22]

運用

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1990年(平成2年)3月にオハ1000形3両、スハフ1100形1両がJR東海から購入され、オハフ500形に代わってラッシュ時の輸送力確保用列車に使用された[15]。車体裾の帯が二重線になり、スハフの側面窓下に樽見鉄道の社章が描かれた以外はJR時代の姿のまま使用された[19]。1992年(平成4年)にはスハフ1100形1両が追加され[24]、通常は3両で運転されていたことからオハ1000形が1993年(平成5年)と1994年(平成6年)に1両ずつ廃車されている[19][5]。1999年(平成11年)ごろには裾の帯が消され、窓下の帯が桜色に変更されている[19]。1994年(平成6年)にはJR東海から14系客車5両が購入されてオハ2000形、スハフ2200形となり、オハ1000形、スハフ1100形は観桜シーズンにうすずみ1形と編成を組んで運転される臨時列車「うすずみファンタジア」に転用され、オハフ800形が廃車となった[19][25]。観桜シーズン以外は北方真桑駅に留置されていた[19]2006年(平成18年)3月に樽見鉄道の機関車牽引列車が廃止されるのに先立ち、2005年(平成17年)3月に廃車された[6]

出典

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参考文献

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書籍

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  • 『国鉄車両一覧』ジェイティービー、1986年。ISBN 4533044468 
    • 「12系 急行形客車」 pp. 200-201
    • 「国鉄車両諸元表」 pp. 328-510

雑誌記事

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  • 鉄道ピクトリアル』通巻448号「新車年鑑1985年版」(1985年5月・電気車研究会
    • 樽見鉄道(株)運輸部次長兼機関区長 大橋 邦典「樽見鉄道 ハイモ180-100形・ハイモ180-200形」 pp. 98-99
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻515号「特集 台車」(1989年8月・電気車研究会)
    • 大幡 哲海「写真でみる台車あれこれ」 pp. 25-35
    • 鉄道ピクトリアル編集部「国鉄・JRおよびメーカー別の台車リスト(I)」 pp. 50-55
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻534号「新車年鑑1990年版」(1990年10月・電気車研究会)
    • 藤井 信夫・大幡 哲海・岸上 明彦「各社別車両情勢」 pp. 180-197
    • 「1990年度車両動向」 pp. 287-302
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻582号「新車年鑑1992年版」(1992年5月・電気車研究会)
    • 藤井信夫、大幡哲海、岸上明彦「各社別車両情勢」 pp. 96-110
    • 「1991年度車両動向」 pp. 184-209
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻597号「新車年鑑1994年版」(1994年10月・電気車研究会)
    • 藤井信夫、大幡哲海、岸上明彦「各社別車両情勢」 pp. 80-95
    • 「1993年度車両動向」 pp. 167-189
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻678号「特集 譲渡車両」(1999年12月・電気車研究会)
    • 鉄道ピクトリアル編集部「現有旅客用譲渡車両一覧」 pp. 62-68
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻757号「特集 12系・14系座席客車」(2005年2月・電気車研究会)
    • 岡田 誠一「12系・14系座席車のあゆみ」 pp. 10-27
    • 服部 朗宏「私鉄へ行った12系・14系客車」 pp. 28-32
    • 三宅 俊彦「12系・14系客車 1970年前後における運転の軌跡」 pp. 57-65
    • 藤田 吾郎「12系・14系座席客車 車歴表」 pp. 66-79
    • 「民鉄で活躍する12系・14系客車」 pp. 81
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻767号「鉄道車両年鑑2006年版」(2006年10月・電気車研究会)
    • 岸上 明彦「2005年度民鉄車両動向」 pp. 118-140
    • 「各社別新造・改造・廃車一覧」 pp. 205-220