樺太西線
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樺太西線 | |
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基本情報 | |
現況 | 廃止 |
国 | 日本 |
所在地 | 樺太 |
種類 | 普通鉄道 |
起点 | 本斗駅 |
終点 | 久春内駅 |
駅数 | 54 |
開業 | 1920年10月11日 |
全通 | 1937年12月1日 |
廃止 | 1946年2月1日 |
所有者 | 樺太庁鉄道→鉄道省樺太鉄道局 |
運営者 | 樺太庁鉄道→鉄道省樺太鉄道局 |
路線諸元 | |
路線距離 | 173.2 km(支線含む) |
軌間 | 1,067 mm |
電化方式 | 非電化 |
樺太西線(からふとさいせん)とは、かつて樺太本斗郡本斗町の本斗駅から泊居郡久春内村の久春内駅までを結んでいた、鉄道省樺太鉄道局の鉄道路線である。1946年(昭和21年)2月1日に日本の国有鉄道としては廃止され、現在はロシア鉄道の一部となっている。
このほか本斗町の本斗駅から浜本斗駅までと、真岡郡真岡町の真岡駅から浜真岡駅までを結ぶ2つの貨物支線を有した。
路線データ
[編集]歴史
[編集]- 1920年10月11日:樺太庁鉄道西海岸線本斗駅 - 真岡駅間開業[1]。
- 1921年11月1日:真岡駅 - 野田駅間延伸開業。
- 1928年
- 1929年12月13日:真岡海岸支線真岡駅 - 浜真岡駅(貨物線。1.8km)開業。
- 1930年
- 1934年8月11日:鵜巣駅新設。
- 1935年7月20日:本斗海岸支線本斗駅 - 浜本斗駅間(貨物線。1.3km)開業。
- 1936年9月1日:南阿幸駅、南麻内駅、姉内駅、中真岡駅、宇遠泊駅、南蘭泊駅新設。
- 1937年
- 1938年6月15日:本古丹駅新設[3]。
- 1941年12月1日:南阿幸駅、南麻内駅、姉内駅、湯ノ沢駅、中真岡駅、宇遠泊駅、本古丹駅、南蘭泊駅、杖遠駅、鵜巣駅休止。
- 1943年4月1日:南樺太の内地編入にともない、樺太庁から鉄道省に移管[4]。休止駅は、正式に廃止となる。
- 1945年8月:ソ連軍が南樺太へ侵攻、占領し、全線がソ連軍に接収される。
- 1946年
駅一覧
[編集]本線
[編集]駅名 | 営業キロ | 接続路線・備考 | 所在地 | |
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本斗駅 | 0.0 | 南樺太炭鉱鉄道 | 本斗郡 | 本斗町 |
遠節駅 | 4.3 | |||
南阿幸駅 | 10.1 | 1943年4月1日廃止 | ||
阿幸駅 | 11.3 | |||
南麻内駅 | 15.3 | 1943年4月1日廃止 | ||
麻内駅 | 16.4 | |||
知根平駅 | 21.4 | |||
多蘭泊駅 | 25.4 | 真岡郡 | 広地村 | |
姉内駅 | 28.9 | 1943年4月1日廃止 | ||
大穂泊駅 | 31.0 | |||
広地駅 | 34.6 | |||
明牛駅 | 39.9 | |||
湯ノ沢駅 | 40.9 | 1943年4月1日廃止 | 真岡町 | |
手井駅 | 44.2 | 運輸通信省:豊真線 | ||
真岡駅 | 47.3 | |||
中真岡駅 | 48.5 | 1943年4月1日廃止 | ||
北真岡駅 | 50.2 | |||
宇遠泊駅 | 52.4 | 1943年4月1日廃止 | ||
幌泊駅 | 55.9 | 蘭泊村 | ||
本古丹駅 | 57.7 | 1943年4月1日廃止 | ||
楽磨駅 | 60.0 | |||
南蘭泊駅 | 61.4 | 1943年4月1日廃止 | ||
蘭泊駅 | 62.7 | |||
藻白帆駅 | 66.5 | |||
羽母舞駅 | 73.5 | |||
小能登呂駅 | 79.6 | 小能登呂村 | ||
仁多須駅 | 84.1 | |||
登富津駅 | 89.8 | |||
野田駅 | 94.9 | 野田町 | ||
杖遠駅 | 98.0 | 1943年4月1日廃止 | ||
久良志駅 | 100.2 | |||
小岬駅 | 110.2 | |||
鵜巣駅 | 119.0 | 1943年4月1日廃止 | ||
追手駅 | 121.2 | 泊居郡 | 泊居町 | |
杜門駅 | 128.8 | |||
泊居駅 | 137.2 | 王子泊居軌道 | ||
苫虫駅 | 147.9 | 名寄村 | ||
樺太名寄駅 | 158.0 | |||
上久春内駅 | 168.4 | 久春内村 | ||
久春内駅 | 170.1 |
貨物支線
[編集]未開通区間
[編集]- 久春内駅 - 珍内 - 恵須取 - 藻糸音間 (157.2km)
未開通区間のうち、久春内 - 珍内間 (50.4km)と珍内 - 中倉庫間 (18.2km)、上恵須取 - 恵須取間(22km)、恵須取 - 塔路 - 藻糸音間 (13.2km) での路盤工事がほぼ完成し、一部区間でのレールの敷設も進んでいた。
貨物輸送
[編集]沿線には、真岡(樺太工業)、野田(王子製紙)、泊居(樺太工業)といった大規模な製紙工場が複数存在したため、パルプ原料となる木材の鉄道輸送がさかんに行われていた[6]。
脚注
[編集]- ^ 鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在
- ^ a b 鈴木保「樺太庁鉄道野久線」『土木建築工事画報』第7巻第1号、pp.44-45、工事画報社、1931(参照:[1])
- ^ a b 日本鉄道旅行地図帳 満洲・樺太(今尾恵介・原武史 監修 新潮社 2009年)p.67
- ^ 鉄道省告示第63号『官報 1943年4月1日』出版者:大蔵省印刷局(編)昭和18年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 運輸省告示第88号『官報 1946年3月22日』出版者:大蔵省印刷局(編)昭和21年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 樺太林業史編集会 『樺太林業史』 p54 1960年 農林出版株式会社