横須賀辰蔵
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横須賀 辰蔵 | |
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生誕 |
1880年4月25日 日本 茨城県 |
死没 | 1956年7月23日(76歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1900年 - 1932年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
横須賀 辰蔵(よこすか たつぞう、1880年(明治13年)4月25日[1] - 1956年(昭和31年)7月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]茨城県出身[1]。陸軍士官学校第12期卒業[1]。1913年(大正2年)8月、陸軍輜重兵少佐に進級し[2]、1914年(大正3年)7月時点で輜重兵第15大隊附であった[2]。1917年(大正6年)9月時点で陸軍騎兵学校教官となり[3]、1919年(大正8年)7月に陸軍輜重兵中佐に進級した[4]。1920年(大正9年)8月に輜重兵第13大隊長(第13師団[5][6])に就任し[6][7]、シベリア出兵に出動した[1]。1920年(大正11年)8月に輜重兵第15大隊長(第15師団[8][9][10])に転じ[7][10]、1922年(大正12年)3月、陸軍輜重兵大佐に進級[7]、1923年(大正13年)2月に近衛輜重兵大隊長(近衛師団[11][12])に就任した[7][12]。
1928年(昭和3年)3月8日、陸軍少将進級と同時に輜重兵監部附となり[1][7]、1929年(昭和4年)3月に輜重兵監に就任した[1]。1932年(昭和7年)8月8日、陸軍中将に進級し[7]、同年12月7日に待命[1]、12月24日に予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[13]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[14]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 784頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正3年7月1日調1125頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正6年9月1日調1234頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正9年9月1日調1360頁
- ^ 外山・森松 1987, 303頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 305頁.
- ^ a b c d e f 外山 1981, 170頁.
- ^ 外山・森松 1987, 307頁.
- ^ 外山・森松 1987, 309頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 310頁.
- ^ 外山・森松 1987, 271頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 273頁.
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。