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横浜市立宮谷小学校

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横浜市立宮谷小学校
地図北緯35度27分58.7秒 東経139度36分30.3秒 / 北緯35.466306度 東経139.608417度 / 35.466306; 139.608417座標: 北緯35度27分58.7秒 東経139度36分30.3秒 / 北緯35.466306度 東経139.608417度 / 35.466306; 139.608417
過去の名称 尋常青木小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 横浜市
設立年月日 1892年(明治41年)
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B114210020518 ウィキデータを編集
所在地 220-0006
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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「横浜市立宮谷小学校の校章」

横浜市立宮谷小学校(よこはましりつみやがやしょうがっこう)は、神奈川県横浜市西区宮ヶ谷にある公立小学校

概要

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西区最大規模の横浜市立小学校である。1、2、4、5、6学年は5クラス。西区の北部に位置する。横浜駅西口という市内有数の繁華街が学区にある。2008年に創立百周年を迎えた。

校章
1909年(明治42年)3月15日、児童の帽章として制定され、それが校章となった。
校歌
作詞:高田敏子 作曲:高木東六

沿革

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年表

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特記無き箇所は参考文献『みやがや 宮谷小学校創立100周年記念誌』が出典。
  • 1873年(明治6年) - 第3大区1小区に芝生村の支校ができる
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 横浜市尋常青木小学校として創立。
  • 1908年(明治41年)6月28日 - 校舎が完成して、開校。この日をもって開校記念日とする。
  • 1909年(明治42年) - 横浜市尋常宮谷小学校と改称
    • 近くに横浜尋常高等青木小学校(現・横浜市立青木小学校)があり、間違われやすかった。
    • 浅間神社北側の谷にあるところから、「宮谷小学校」とした。
  • 1909年(明治42年) - 児童の帽章ができ、現在の校章となった。
  • 1911年(明治44年) - 横浜市尋常高等宮谷小学校と改称。
    • 9月 校舎増築
  • 1916年(大正5年) - 初代校旗がつくられる。(初代後援会長の寄付による。当時の価額35円)
  • 1920年(大正9年) - 横浜市立尋常宮谷小学校と改称。高等科を廃止。尋常科:644名。
  • 1925年(大正14年) - 横浜市宮谷尋常小学校と改称。
    • 9月1日関東大震災により校舎の一部が被災倒壊。児童が2名死亡。校舎や校地内で避難してきた人約1,000名が過ごす。
    • 10月15日に授業再開するが、教室数不足のため二部授業。
  • 1925年(大正14年) - 震災復興計画により、借地中の校地と隣接地買収着手。
  • 1927年(昭和2年) - 横浜市立宮ヶ谷尋常高等小学校と改称。
  • 1929年(昭和4年) - 震災復興計画による鉄筋構造の校舎完成。
    • 敷地面積:約8,600㎡,建築面積:約1,860㎡,延床面積:約4,116㎡
    • 建設工事費:281,750.75円,総費用(用地購入費等含む):482,509円
    • 普通教室24,特別室4,準備室教具室4,その他8 児童数:1,211名(高等科を含む)
  • 1932年(昭和7年) - 学校の住所が、神奈川区宮ヶ谷17番地と改正。震災後第2期町境町名地番整理による。
    • 児童数増加で下学年は二部授業となる。
    • 児童数:1,520名
  • 1935年(昭和10年) - 元私立隣徳尋常小学校(浅間町字鹿島675番地)が本校鹿島分教場となる。児童数:214名,5教室。
    • 二宮尊徳像の除幕式を行う。
      • 在校生が1日と15日に1銭ずつ1年間出した。
  • 1936年(昭和11年) - 電動発声機(サイレン)を設置。
  • 1937年(昭和12年) - 校旗を新調(2代目)。
  • 1940年(昭和15年) - 横浜市立宮谷青年学校設立( - 昭和21年)。
    • 校歌ができた(初代)。
  • 1943年(昭和18年) - 講堂の洗面所改造して、調理室ができる。
    • この頃戦争で金属が足りなかったため二宮尊徳像を軍へ供出。
  • 1944年(昭和19年) - 湯河原へ集団疎開した。集団疎開児童数400名。縁故疎開した児童も多かった。
    • 宮田国民学校、日清製粉、軍が校舎を使用した。
  • 1964年(昭和39年) - 岩石園ができる。
  • 1972年(昭和47年) - 中庭に鉄骨プレハブ新校舎(5教室)を増設する。ばっ採した楠を使って「寿老人」の「濱彫」を製作。
    • プールに腰洗い場ができる。
  • 1974年(昭和49年) - 県緑化推進校として指定を受ける。
  • 1983年(昭和58年) - 新校舎完成。
  • 1984年(昭和59年) - 宮がやの子供像ができる
  • 1987年(昭和62年) - 親と子の体力つくり協力校となる。
  • 1988年(昭和63年) - 創立80周年記念式典が行われる。
  • 1993年(平成5年) - 市学校保健優良校として表彰を受ける。
  • 1994年(平成6年) - 市学校保健優良校として表彰される。
  • 1995年(平成7年) - 横浜まちづくり功労者賞を受賞する。
    • 非常用の備蓄庫ができる。
  • 1996年(平成8年) - 市学校給食優良校として表彰を受ける。
  • 1998年(平成10年) - 創立90周年記念式典が行われる。高木東六先生が来校。
    • 市研究協力校として体育授業公開する。
  • 1999年(平成11年) - 市・県研究協力校として体育科研究発表会を行う。
    • 横浜市立小学校水泳大会で女子200mリレー優勝。
  • 2000年(平成12年) - 5、6年生による宮谷スポーツクラブ開始。
    • 給食調理室をドライ方式に改修。
  • 2002年(平成14年) - 宮谷小学校子どもフェスティバルに中田宏横浜市長が来校。
  • 2004年(平成16年) - アイスランド室内管弦楽団演奏会が行われる。アイスランド大使が来校する。
    • 教育課程推進研究協力校として「食」「運動」を視点とした研究発表を行う。
    • 大相撲宮谷場所が初開催。
    • 市水泳大会で200mリレーに優勝する。
  • 2006年(平成18年) - PSY健康科健康教育を学ぶ会を行う。
    • 健康科公開授業研究会を行う。
  • 2007年(平成19年) - 健康科公開授業研究会を行う。
  • 2008年(平成20年) - 優良PTAとして、神奈川県教育会・横浜市・横浜市教育委員会・横浜市PTA連絡協議会より表彰を受ける。
    • 創立100周年記念式典が行われる。
  • 2009年(平成21年) - 8月、シドニー・ギューリックの孫のギューリック3世より新・青い目の人形の「メアリー・スー」が寄贈された[1]

特色

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学校行事

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  • 4月 入学式
  • 5月
  • 6月 創立記念日
  • 7月
  • 8月
  • 9月 運動会
  • 10月
  • 11月
  • 12月
  • 1月
  • 2月 走ろう会
  • 3月 卒業式

児童会活動・クラブ活動など

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委員会

  • 図書委員会
  • 運動委員会
  • 環境委員会
  • 保健委員会
  • 人権委員会
  • 国際交流委員会
  • 広報委員会
  • 園芸委員会
  • 集会委員会
  • 放送委員会
  • 給食委員会
  • 飼育委員会
  • 計画運営委員会

クラブ

  • バドミントン
  • 陸上
  • サイエンス
  • ダンス
  • パソコン
  • バトン
  • ブック
  • ボールゲーム
  • 料理
  • イラスト・絵画工作
  • 野外活動
  • 卓球
  • 手芸

2011年現在

設備・環境

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  • 二宮金治郎
  • 宮谷の子ども像
  • 青い目をした人形
  • 飼育小屋
  • 給食調理室
  • スロープ
  • 放課後キッズクラブ
  • 市民図書
  • ランチルーム
  • 中庭
  • 25mプール
  • ピロティ
  • 防災備蓄庫

通学区域

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進学先中学校

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  • 横浜市立軽井沢中学校
  • 横浜市立宮田中学校

(部活希望により、横浜市立軽井沢中学校学区でも、横浜市立宮田中学校又は横浜市立岡野中学校に進学できる)

学区 / 校区内の主な施設

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交通

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関係者

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出身者

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画像

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参考文献

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  • 『みやがや 宮谷小学校創立100周年記念誌』2008年11月8日 横浜市立宮谷小学校創立100周年記念事業実行委員会

関連項目

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脚注

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  1. ^ Amity Yokohama summer seminar 2009(ボランティア活動) - 英語でハマッコ(Yahoo!ブログ) 2016年3月28日閲覧

外部リンク

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