楯岡町
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たておかまち 楯岡町 | |
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廃止日 | 1954年11月1日 |
廃止理由 |
新設合併 楯岡町、西郷村、大倉村、大久保村、富本村、戸沢村 → 村山市 |
現在の自治体 | 村山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 山形県 |
郡 | 北村山郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 大倉村、東根町、西郷村 |
楯岡町役場 | |
所在地 | 山形県北村山郡楯岡町 |
座標 | 北緯38度29分00秒 東経140度22分49秒 / 北緯38.48336度 東経140.38039度座標: 北緯38度29分00秒 東経140度22分49秒 / 北緯38.48336度 東経140.38039度 |
ウィキプロジェクト |
楯岡町(たておかまち)は、1892年3月1日に楯岡村に町制が施行されてから、1954年11月1日の村山市の誕生まで、山形県村山地方に存在した町。現在は村山市楯岡という住所で残っている。
背景
[編集]歴史
[編集]- 927年 - 延喜式で村山郡村山
- 1208年 - 前森今嶺が楯山に楯岡城を築城する。前森氏の次は、本城氏が引き継ぐ
- 1406年 - 斯波満国が入り、7代続く
- 1618年 - 最上義光の四男光直が入る
- 1622年 - 脇本満直が入る
- 1622年 - 最上家改易に伴い、城主は細川氏に預けられ、楯岡城は棄却される。
- 1889年4月1日 - 楯岡村と湯沢村が合併して、町村制が施行され、楯岡村(たておかむら)が誕生する。
- 1892年3月15日 - 町制が施行され楯岡町になる。
- 1901年10月 - 東洋宣教会 (OMS) が初めての地方の中央福音伝道館の支部を設け、清水俊蔵が派遣された。(1903年5月まで)
- 1954年11月1日 - 西郷村、大倉村、戸沢村、大久保村、富本村と合併し市制を施行、村山市に改称され村山市楯岡になる。
町長
[編集]- 細梅三郎(1905- 、1931- )
史跡
[編集]出身者
[編集]- 最上徳内(江戸時代の幕臣、探検家)