楚金玲
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基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 中国 | |||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1984年7月29日(40歳) | |||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 遼寧省大連市 | |||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Chu Jinling | |||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 190kg[1] | |||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 72kg[1] | |||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | OH | |||||||||||||||||||||||||||||
スパイク | 310cm[1] | |||||||||||||||||||||||||||||
ブロック | 302cm[1] | |||||||||||||||||||||||||||||
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楚 金玲(そ きんれい、ラテン翻記:Chu Jinling、1984年7月29日 - )は、中華人民共和国の元女子バレーボール選手である[1]。元中華人民共和国代表[2]。
来歴
[編集]遼寧省大連市出身。2002年の中国バレーボールリーグで頭角を現し、すぐに代表入りを果たす。
2003年、モントルーバレーマスターズで代表デビューを果たし、優勝に貢献。同年のWGPでも優勝を果たした。しかし過度のトレーニングからきた右肩痛により、同年秋のワールドカップを目前に代表を離脱せざるを得なかった[3]。
2005年に代表に復帰し、アジア選手権で優勝に大きく貢献し、自らもMVP及びベストスパイカーの栄誉に浴した。しかし故障がちに加え技量レベルの問題から再び代表を離れた[3]。遼寧省チームに戻った楚は、エースポジションを若き王一梅に奪われ、国内リーグで活躍したものの次第に忘れられた存在となり、自国開催となった北京オリンピックにも出場できなかった[3]。
2012年、楚は予期せぬことに、ロンドンオリンピック代表メンバーに選出され[4][5]、唯一のベテランとして、チームを牽引した。
エピソード
[編集]前述の通り、北京オリンピックには選手としての出場は叶わなかったが、聖火ランナーとして瀋陽市を走っている[6]。
球歴
[編集]- 三大大会
- オリンピック - 2012年(5位)
- その他大会
- WGP - 2003年(金メダル)、2005年(銅メダル)
- アジア選手権 - 2003年(金メダル)、2005年(金メダル)、2009年(銀メダル)
- アジア競技大会 - 2006年(金メダル)
所属チーム
[編集]- 遼寧(1996-2012年)
- 広東(2012-2014年)
受賞歴
[編集]- 2005年 - アジア選手権 MVP、ベストスパイカー
出典
[編集]- ^ a b c d e FIVB. “PLAYER'S BIOGRAPHY”. 2016年2月10日閲覧。
- ^ 中国オリンピック委員会. “2012伦敦奥运会中国体育代表团成员名录 - 楚金玲”. 2016年2月16日閲覧。
- ^ a b c “女排复仇记:楚金玲三进三出 伦敦是最后机会”. 腾讯体育
- ^ “加强防守楚金玲入选 女排奥运12人名单悬念揭晓”. 四川日报 2012年7月10日閲覧。
- ^ “崔嘉:楚金玲入选是对她褒奖 双自由人力保一传”. 搜狐体育 2012年7月12日閲覧。
- ^ suho.com. “图文:郭士强与下一棒火炬手楚金玲交接”. 2016年2月18日閲覧。