楊异
表示
楊 异(よう い、533年 - 600年)は、北周から隋にかけての政治家。字は文殊。本貫は恒農郡華陰県。
経歴
[編集]楊倹の子として生まれた。幼い頃から学問して、暗誦を繰り返したので、奇人とみられた。9歳のとき父を失い、礼の限度を越えて嘆き哀しみ、憔悴して身を滅ぼさんばかりであった。喪が明けた後も、人づき合いを絶って、家の門戸を閉ざして読書した。北周の孝閔帝のとき、寧都郡太守となり、有能なことで知られた。昌楽県子の爵位を受けた。後に軍功により、侯に進んだ。
580年、楊堅が北周の丞相となると、楊异は行済州事をつとめた。581年、隋が建国されると、宗正少卿に任ぜられ、上開府の位を受けた。蜀王楊秀が益州に駐屯すると、楊异は実直さを買われて、益州総管長史とされた。まもなく西南道行台兵部尚書に転じた。数年後、再び宗正少卿となった。しばらくして、工部尚書に抜擢された。592年、呉州総管として出向した。晋王楊広が揚州に駐屯すると、1年ごとに楊広に面会して得失を評論するよう命じられた。600年9月27日、在官のまま死去した。享年は68。
子に楊虔遜があった。