楊伝広
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楊伝広 | |
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プロフィール | |
出生: |
大日本帝国台湾総督府台東庁台東市 (現 中華民国(台湾)台東県台東市) |
各種表記 | |
拼音: | Yáng Chuánguǎng |
和名表記: | よう でんこう |
英語名: | Yang Chuan-Kuang |
獲得メダル | ||
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陸上競技 | ||
チャイニーズタイペイ | ||
オリンピック | ||
銀 | 1960 | 十種競技 |
アジア競技大会 | ||
金 | 1954 | 十種競技 |
金 | 1958 | 十種競技 |
銀 | 1958 | 110mハードル |
銀 | 1958 | 走幅跳 |
銅 | 1958 | 400mハードル |
楊 伝広 (よう でんこう、アミ語名:Maysang Kalimud、1933年7月10日 - 2007年1月27日)は、台湾・アミ族の陸上競技選手。専門は十種競技で、オリンピックでのメダル獲得や世界記録樹立といった実績により「東洋の鉄人」「アジアの鉄人」の異名を取った。
来歴
[編集]台東庁台東市出身。大家族の中から6人が日本軍の兵士として出征したという[1]。
1960年ローマオリンピックでは銀メダルを獲得した。1963年4月に世界記録も樹立している。1964年東京オリンピックにも出場したが、体調がよくなく5位の結果だった[2]。これに関しては、毒物投与疑惑も持ち上がった[2]。
引退後、1983年の立法院選挙に中国国民党から立候補して当選、議員を務めた後、1989年に台東県知事選に出馬したが落選した[1]。1990年アジア競技大会では台湾チームのコーチとして20年ぶりに中国大陸の地を踏んだ[1]。
カリフォルニア大学への留学経験があり、1990年の時点では妻子はアメリカ合衆国に居住していた[1]。
2007年1月27日、アメリカカリフォルニア州サンフェルナンド・バレーで脳卒中により死去[2]。
主な実績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1954 | アジア競技大会 | マニラ(フィリピン) | 十種競技 | 金 | 5454 |
1958 | アジア競技大会 | 東京(日本) | 110mハードル | 銀 | 14秒8 |
1958 | アジア競技大会 | 東京(日本) | 400mハードル | 銅 | 53秒0 |
1958 | アジア競技大会 | 東京(日本) | 走幅跳 | 銀 | 7m49 |
1958 | アジア競技大会 | 東京(日本) | 十種競技 | 金 | 7101 |
1960 | オリンピック | ローマ(イタリア) | 十種競技 | 銀 | 8334 |
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 楊伝広 - Olympedia