椎葉厳島神社
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椎葉厳島神社 | |
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本殿 | |
所在地 | 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良1822 |
位置 | 北緯32度27分49.8秒 東経131度09分16.9秒 / 北緯32.463833度 東経131.154694度座標: 北緯32度27分49.8秒 東経131度09分16.9秒 / 北緯32.463833度 東経131.154694度 |
主祭神 |
市杵島姫命 素盞男命 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 伝元久元年(1204年) |
本殿の様式 | 吾妻屋造 |
別名 | 厳島大明神 |
例祭 | 旧暦11月15日 |
椎葉厳島神社(しいばいつくしまじんじゃ)は、宮崎県東臼杵郡椎葉村に鎮座する神社である。鎮座地は、源氏方の武将と平氏遺臣の娘との悲恋物語で有名な那須家住宅(鶴富屋敷)の近く、下福良集落の中央小丘上に位置する(旧上椎葉村)。旧社格は村社。
祭神
[編集]由緒
[編集]壇ノ浦の戦いに破れた平氏の残党が山間の僻地であった当地へ逃れて隠れ住み、元久元年(1204年)に一門の氏神である安芸国厳島社を勧請したものと伝えるが(社伝)、平氏残党追討の命を受けて当地へ下った那須大八郎宗久(与一宗高の弟という)が、平氏の娘である鶴富姫と恋仲になったために人々を宥恕するとともに、宗久によって安芸厳島社から勧請したとも伝わる(『椎葉山根元記』)。
明治以前までは「厳島大明神」と称されて崇敬されて来たが、明治4年(1871年)に現社名に改称した。また明治6年に39の集落が合併されて現椎葉村が出来た関係で、各集落に鎮座していた神社を合祀している[1]。
脚注
[編集]- ^ 合祀された神社は、
- 旧下福良村(現小字下福良)の森鹿倉社(もりかくらしゃ)
- 旧佐礼(ざれ)村(現小字佐礼)の両森鹿倉社五所ノ神
- 旧尾田村(現字尾田山中)の葉以高社
- 旧山中村(同上)の於市若市社
- 旧桑木原(くわのきばる)村(現小字桑ノ木原)の森鹿倉社
- 旧大中尾(おなこう)村(同上)の姥山社
- 旧小中尾(こなこう)村(同上)の山ノ神
- 旧若宮村(現小字若宮)の祇園社
- 旧長野村(現大字下福良)の猿尾社
- 旧桑弓野村(現字桑ノ木原)の釜柱屋や明神
- 旧望田(もちだ)村(現小字持田)の若宮鹿倉社と地主社
- 旧高尾(たこう)村(現大字下福良)の今神社
- 旧尾八重(おはえ)村(現小字尾八重)の正八幡宮、七社ノ稲荷、若宮八幡、森鹿倉社、山宮相野社
- 旧横野村(現小字横野)の森鹿倉神社
- 旧下ノ平(しものだいら)村(現字松木(まつぎ))の北山八幡宮と稲荷社
- 旧上ノ平(かみのだいら)村(同上)の北山社と森鹿倉社
- 旧一戸(ひとつど)村(現小字一ツ戸)の森鹿倉神社
- 旧上福良村(現小字上福良)の隼丸大明神、稲荷社、疱瘡社
- 旧日隠(ひがくれ)村(現字春山)の稲荷社と北山八幡宮
- 旧村椎(むらじい)村(現小字間栢原(まかやばる))の五所ノ神
- 旧下椎葉村(現小字下椎葉)の若宮大明神
- 旧野老ヶ八重(のろがはえ)村(現小字野老ヶ八重)の森鹿倉両明神
- 旧尾平村(現小字尾平)の尾平社
- 旧夜狩内(よかりうち)村(現小字夜狩内)の稲荷社、鹿倉社、両森鹿倉大明神
など(『宮崎県の地名』)。
参考文献
[編集]- 『宮崎県神社誌』、宮崎県神社庁、1988年
- 『角川日本地名大辞典45 宮崎県』、角川書店、1986年 ISBN 4-04-001450-2
- 『宮崎県の地名』(日本歴史地名大系46)、平凡社、1997年 ISBN 4-582-49046-8
関連項目
[編集]- 平家の落人
- 椎葉平家まつり - 毎年11月に行われる椎葉村主催の催し。元暦2年(1185年)の壇ノ浦の戦いから800年後に当たる昭和60年(1985年)に「平家八百年祭」として行ったのに始まり、以後途絶した上椎葉神楽を復興する等している。