植松雅俊
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植松 雅俊 うえまつ まさとし | |
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貴族院議員 | |
在任期間 | 1946年(昭和21年)6月28日 - 1947年(昭和22年)5月2日 |
植松 雅俊 | |
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子爵 | |
出生 |
1910年6月19日 |
死去 |
1958年11月14日(48歳没) |
配偶者 | 一重子 |
美恵子 | |
子女 | 雅房、雅明、紀美子 |
家名 | 植松家 |
父親 | 植松雅道 |
母親 | こてる?[注 1] |
栄典 | 正五位 |
植松 雅俊(うえまつ まさとし、1910年(明治43年)6月[3][4][1]19日[5] - 1958年(昭和33年)11月14日[3][5])は、昭和期の宮内官、政治家。京都府華族(子爵)[4][3]。貴族院議員[1]。正五位[4][3]。
経歴
[編集]1910年(明治43年)6月、式部官・植松雅道の長男として生まれる[2][5][6]。
1935年(昭和10年)九州帝国大学法文学部を卒業[4][3]。同年以降、宮内省諸陵寮雇、同嘱託、殿掌などを務めた[3]。
父の死去に伴い、1941年(昭和16年)[6]7月[1]1日、子爵を襲爵した[5][7]。
1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選した[8][9]。研究会に所属し、1947年(昭和22年)5月2日まで在任した[3]。
家族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 霞会館諸家資料調査委員会 1982, p. 218.
- ^ a b “植松雅平”. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院法学研究科. 2023年12月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g 衆議院 & 参議院 1990, p. 37.
- ^ a b c d 貴族院事務局 1947, p. 108.
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』237-238頁。
- ^ a b 人事興信所 1943, p. ウ36.
- ^ 大蔵省印刷局 1941, p. 42.
- ^ 貴族院事務局 1947, p. 54,57.
- ^ 『官報』第5843号、昭和21年7月8日。
参考文献
[編集]- 大蔵省印刷局 編『官報』 第4344号、日本マイクロ写真、1941年。NDLJP:2960842/6。
- 霞会館諸家資料調査委員会 編『昭和新修華族家系大成』 上巻、霞会館、1982年3月10日。NDLJP:12212642/157。(要登録)
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 『貴族院要覽(丙)』(昭和二十一年十二月増訂)貴族院事務局、1947年4月25日。NDLJP:1682480/72。
- 衆議院・参議院 編『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』1990年11月。NDLJP:9673684/27。(要登録)
- 人事興信所 編『人事興信録』 上(第十四版)、人事興信所、1943年10月。NDLJP:1704391/290。
日本の爵位 | ||
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先代 植松雅道 |
子爵 植松家第4代 1941年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |