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植松雅俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
植松 雅俊
うえまつ まさとし

貴族院議員
在任期間 1946年(昭和21年)6月28日 - 1947年(昭和22年)5月2日
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植松 雅俊
子爵

出生 1910年6月19日
死去 (1958-11-14) 1958年11月14日(48歳没)
配偶者 一重子
  美恵子
子女 雅房、雅明、紀美子
家名 植松家
父親 植松雅道
母親 こてる?[注 1]
栄典 正五位
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植松 雅俊(うえまつ まさとし、1910年明治43年)6月[3][4][1]19日[5] - 1958年昭和33年)11月14日[3][5])は、昭和期の宮内官政治家京都府華族子爵[4][3]貴族院議員[1]正五位[4][3]

経歴

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1910年(明治43年)6月、式部官植松雅道の長男として生まれる[2][5][6]

1935年(昭和10年)九州帝国大学法文学部を卒業[4][3]。同年以降、宮内省諸陵寮雇、同嘱託、殿掌などを務めた[3]

父の死去に伴い、1941年(昭和16年)[6]7月[1]1日、子爵を襲爵した[5][7]

1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選した[8][9]研究会に所属し、1947年(昭和22年)5月2日まで在任した[3]

1958年(昭和33年)11月、死去[1]

家族

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  • 先妻:一重子(かずえこ、深山正の四女)[5]
    • 長男:雅房[5]
  • 後妻:美恵子(樋口美津雄の長女)[5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 印部所一長女[1][2]

出典

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  1. ^ a b c d e 霞会館諸家資料調査委員会 1982, p. 218.
  2. ^ a b 植松雅平”. 人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院法学研究科. 2023年12月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 衆議院 & 参議院 1990, p. 37.
  4. ^ a b c d 貴族院事務局 1947, p. 108.
  5. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』237-238頁。
  6. ^ a b 人事興信所 1943, p. ウ36.
  7. ^ 大蔵省印刷局 1941, p. 42.
  8. ^ 貴族院事務局 1947, p. 54,57.
  9. ^ 『官報』第5843号、昭和21年7月8日。

参考文献

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日本の爵位
先代
植松雅道
子爵
植松家第4代
1941年 - 1947年
次代
華族制度廃止