植村家久
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦2年1月26日(1752年3月11日) |
死没 | 安永7年12月2日(1779年1月19日) |
改名 | 九郎八・新六郎(幼名)、家久 |
戒名 | 頓悟宗円諦観院 |
墓所 | 奈良県高市郡高取町上子島の宗泉寺 |
官位 | 従五位下、出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 大和国高取藩主 |
氏族 | 植村氏 |
父母 | 父:植村家道、母:於増(於多世、栄秀院) |
兄弟 | 家久、家長、佐野義行、家利、要之助、隼太 |
妻 | 正室:本多忠敞の娘・於歌 |
子 |
鉄吉 養子:家利 |
植村 家久(うえむら いえひさ)は、大和高取藩の第7代藩主。
宝暦2年(1752年)1月26日、第6代藩主・植村家道の長男として高取で生まれる。明和4年(1767年)、父の死去により跡を継いだ。藩政においては、89か条からなる「定書」を制定し、倹約に努めたという。安永7年(1778年)12月2日、高取で死去した。享年27。跡を弟の家利が継いだ。