椅子山 (潜水艦母艇)
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艦名の由来は旅順北方にある日清戦争、日露戦争で戦場となった高地「椅子山」。
元はロシアの客船(曳船とする資料もある)で旅順と大連間を運行、排水量は200トンクラスの小艇だった。日露戦争により1905年(明治38年)に捕獲、1906年(明治39年)7月23日に雑役船(潜水艇母船)「椅子山丸」と命名、使用された。1920年(大正9年)7月1日に特務艇(潜水艦母艇)に編入し「椅子山」と改名。1922年(大正11年)4月1日に除籍された。
案子山丸
[編集]案子山丸(あんしざんまる)は同じく日露戦争で捕獲された元ロシア船。同じく旅順北方の高地の名前による命名でテーブル山の意味。雑役船に編入、特務艇には編入されなかった。
参考文献
[編集]- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9