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森山武市郎

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森山 武市郎(もりやま たけいちろう、1891年明治24年)2月28日 - 1948年昭和23年)2月29日[1])は、日本の検察官

概要

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福岡県三潴郡大善寺村(現・久留米市)出身[1]。1912年、明治大学法学部卒業。1916年、判事検事登用試験に合格して司法官試補となり、1918年に東京地方裁判所判事となる。1920年に退職してヨーロッパに留学し、スイスベルン大学ドイツハイデルベルク大学民法商法労働法を研究し、1923年帰国。検事に任じられ、司法省刑事局・行刑局に勤務。1932年法学博士の学位を取得[1]。また、明治大学政経学部教授に就任。

検察官時代は、東京控訴院検事、宮城控訴院検事局検事長、大審院判事などを歴任。その後、1935年から1943年の間、司法省に赴任し保護課長及び保護局長などを務め、保護課長時代に思想犯保護観察法を起案し成立させた。1946年に退職して弁護士となり、1948年、57歳で逝去。

脚注

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  1. ^ a b c 日本刑事政策研究会 編『日本刑事政策史上の人々』日本加除出版、1989年、p.309-310。

参考

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  • 『司法保護の回顧 森山武市郎先生顕彰録』(1969 森山武市郎先生遺徳顕彰の会)