森屋駅
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森屋駅 | |
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もりや MORIYA | |
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所在地 | 岐阜県岐阜市 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 鏡島線 |
キロ程 | 2.0 km(千手堂起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1924年(大正13年)4月21日 |
廃止年月日 | 1964年(昭和39年)10月4日 |
森屋駅(もりやえき)は、岐阜県岐阜市鹿島町にあった、名古屋鉄道鏡島線の駅。
鏡島線の中間点に近く、当駅折り返しの電車が多く設定されていた[1]。2014年4月時点では岐阜乗合自動車・森屋バス停が公共交通機関の輸送手段として該当する[2]。
歴史
[編集]鏡島線が美濃電気軌道の路線として1924年に開通したのに合わせて開業した。はじめは全区間とも専用軌道であったが、のちに千手堂駅から当駅までの区間は併用軌道に変更されている[3]。戦時中の1944年には当駅から先、鏡島駅までの区間が不要不急路線に指定され、休止される[4]。同区間は戦後に順次再開されたものの、すでに沿線地域にはモータリゼーションの波が押し寄せていた。鏡島線はそのあおりを受けて1964年に全線が廃止[5]。それにともない当駅も廃駅となった。
- 1924年(大正13年)4月21日 - 美濃電気軌道鏡島線の千手堂駅 - 鏡島駅間の営業開始と同時に開業[6][7]。
- 1930年(昭和5年)8月20日 - 美濃電気軌道が名古屋鉄道(初代。同年中に名岐鉄道に改称し、1935年より名古屋鉄道に再改称)に合併。同社の鏡島線の駅となる[7]。
- 1944年(昭和19年)12月11日 - 当駅 - 鏡島駅間が不要不急路線に指定され休止[4]。
- 1950年(昭和25年)
- 1953年(昭和28年)8月16日 - 当駅 - 弘法口駅の営業再開[8]。
- 1964年(昭和39年)10月4日 - 鏡島線の廃止により廃駅となる[7][9]。
駅構造
[編集]- 相対式2面2線の乗り場を持ち、交換施設を有していた[1]。鏡島線は単線であったため、列車交換は当駅で行われていた[1]。
- 南側(下り側)には小規模な駅舎があった[10]。跡地は商業施設となっている。(2014年時点ではイー・ケアデイサービスかしまの杜)[11]
その他
[編集]- 鏡島線は当駅までが市内運賃であった。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、146-147頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 岐阜バス(乗合事業部)(路線図を参照)
- ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、164-165頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b c 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、23頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、126頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年4月26日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b c 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、219-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b c 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、984-990頁。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、52頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年、73-74頁。ISBN 978-4-53305-883-7。
- ^ 「森屋」バス停留所:バス停ホームメイト・リサーチ。2014年12月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 978-4-53305-883-7。
- 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年。ISBN 4-87670-097-4。