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森坊 増隆(もりのぼう ぞうりゅう、生没年不詳)は、戦国時代の僧侶。京都聖護院の坊官。
天文18年(1549年)古河公方足利晴氏の左兵衛督昇進時の書状で名が見える。その後も特に小田原の北条氏と交流、また幕府の使者として下向している。弘治3年(1557年)長尾景虎(上杉謙信)と武田信玄の争いの調停のために甲斐へ、永禄10年(1567年)北条・上杉・武田の和睦のために小田原へ、それぞれ御内書を持って下向した。