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梅本正之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
梅本 正之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県有田郡津木村(現:広川町
生年月日 (1936-08-10) 1936年8月10日(88歳)
身長
体重
179 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手外野手
プロ入り 1955年
初出場 1956年
最終出場 1963年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 阪神タイガース (1964 - 1981, 1989 - 1995)

梅本 正之(うめもと まさゆき、1936年8月10日 - )は、和歌山県有田郡津木村(現:広川町)出身の元プロ野球選手投手、右投右打)・コーチスコアラー・寮長。

経歴

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少年時代は藤村富美男にあこがれていた。和歌山県立耐久高等学校に進学。甲子園には縁がなかったが、1954年春季近畿大会県予選は準々決勝に進む。しかし後にプロで同僚となるエース前岡勤也を擁する新宮高に完封負けを喫した。高校時で身長が180cmあり、15kmある自宅と学校の間を自転車で通ったことで足腰が鍛えられた。1955年、無名ではあったが知り合いのつてで大阪タイガースから声がかかり入団。契約金20万円、給料2万円であった。

1年目の5月、先輩投手の投球を受け損ねて右手中指を骨折する不運もあり、1年目は一軍登板は無し。2年目の1956年にプロ初登板。3年目の1957年、4月2日の対国鉄戦(後楽園)でプロ初完投で初勝利を挙げた[1]。9日後の対広島戦(別府)で初完封勝利を挙げた[1]。同年は4勝4敗、防御率2.65の成績を残すが翌年、肩の関節周囲炎を起こす。5年目の1959年村山実の入団により二軍に落ちることが増え、密かに大洋ホエールズと移籍交渉するが監督藤本定義に諌められる。1962年、肩の痛みがとれず外野手に転向する。しかし、一軍での出番はほとんど無く、翌年藤本に「ノックで生きてみい」と告げられ引退し、二軍の育成コーチに就任。ノックの名人と呼ばれた[2]1995年まで31年間様々なコーチ、スコアラーを歴任する。

1984年から1995年1998年から2003年の2期間、阪神の合宿所「虎風荘」の寮長を務めた[2][3]。この間マスコミからは「鬼軍曹」と呼ばれ[2]、自らは「関所の番人」と呼んでいた。2003年末で寮長を勇退する直前の11月28日に兵庫県警察甲子園警察署一日署長を務め、その際に元寮生・新庄剛志よりねぎらいの花束を受け取った[4]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1956 大阪
阪神
2 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 13 4.0 2 0 0 0 0 4 0 0 0 0 0.00 0.50
1957 9 8 2 1 0 4 4 -- -- .500 206 51.0 39 6 13 0 2 28 2 0 17 15 2.65 1.02
1958 5 2 0 0 0 0 1 -- -- .000 39 7.2 11 1 3 0 1 3 1 0 7 6 6.75 1.83
1959 23 8 0 0 0 1 4 -- -- .200 242 52.2 61 2 19 1 2 25 1 0 31 23 3.91 1.52
1960 20 3 0 0 0 1 1 -- -- .500 166 37.0 42 0 17 0 0 22 2 0 21 16 3.89 1.59
1961 2 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 11 2.2 4 2 0 0 0 2 0 0 2 2 6.00 1.50
通算:6年 61 21 2 1 0 6 10 -- -- .375 677 155.0 159 11 52 1 5 84 6 0 78 62 3.60 1.36
  • 大阪(大阪タイガース)は、1961年に阪神(阪神タイガース)に球団名を変更

年度別打撃成績

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O
P
S
1956 大阪
阪神
2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1957 9 17 16 2 4 1 0 0 5 0 0 0 1 0 0 0 0 5 0 .250 .250 .313 .563
1958 5 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1959 23 13 13 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .077 .077 .154 .231
1960 20 6 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .167 .167 .167 .333
1961 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1963 13 11 9 2 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1 4 0 .000 .182 .000 .182
通算:7年 74 48 45 4 6 2 0 0 8 0 1 0 1 0 1 0 1 17 0 .133 .170 .178 .348
  • 大阪(大阪タイガース)は、1961年に阪神(阪神タイガース)に球団名を変更

記録

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初記録

背番号

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  • 60(1955年 - 1958年)
  • 12(1959年 - 1960年)
  • 28(1961年 - 1963年)
  • 68(1964年 - 1970年)
  • 78(1971年 - 1979年、1989年 - 1995年)
  • 86(1980年 - 1981年)

関連情報

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著書

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脚注

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  1. ^ a b 梅本正之”. げんまつWEBタイガース歴史研究室. 2012年8月13日閲覧。
  2. ^ a b c ZAKZAK 俺の人生第二幕 2011年8月31日掲載 2011年11月5日閲覧
  3. ^ 【内田雅也の追球】「鬼軍曹」の「百訓」――入寮した阪神ルーキーたちに贈る― スポニチ Sponichi Annex 野球
  4. ^ 新庄剛志、16年ぶりの甲子園 元阪神寮長「日本ハムを応援」の理由”. 朝日新聞 (2022年6月3日). 2022年6月5日閲覧。

参考文献

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  • 矢崎良一 他 『背番号三桁』 竹書房、2004年

関連項目

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外部リンク

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