梁川村 (岩手県)
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やながわむら 梁川村 | |
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廃止日 | 1955年2月10日 |
廃止理由 |
新設合併 梁川村、岩谷堂町、伊手村、稲瀬村、愛宕村、田原村、玉里村、広瀬村、藤里村、米里村 → 江刺町 |
現在の自治体 | 奥州市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 江刺郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 37.59 km2 |
総人口 |
3,888人 (『岩手県町村合併誌』、1954年12月) |
隣接自治体 |
江刺郡:広瀬村、玉里村、米里村 和賀郡:東和町 北上市 |
梁川村役場 | |
所在地 | 岩手県江刺郡梁川村字舘下324 |
座標 | 北緯39度17分08秒 東経141度15分41秒 / 北緯39.28558度 東経141.26133度座標: 北緯39度17分08秒 東経141度15分41秒 / 北緯39.28558度 東経141.26133度 |
ウィキプロジェクト |
梁川村(やながわむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県江刺郡にあった村。現在の奥州市江刺梁川にあたる。
沿革
[編集]- 明治8年(1875年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、野手崎村・栗生沢村・菅生村が合併して梁川村となる。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、梁川村単独で村制施行。
- 昭和30年(1955年)2月10日 - 岩谷堂町・伊手村・稲瀬村・愛宕村・田原村・玉里村・広瀬村・藤里村・米里村と合併し、江刺町となる。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 菊池庸孝 | 明治22年(1889年)4月1日 | 明治22年(1889年)7月29日 | |
2 | 浅沼孫之助 | 明治22年(1889年)7月30日 | 明治27年(1898年)7月25日 | |
3 | 佐藤豊之助 | 明治27年(1894年)7月26日 | 明治31年(1898年)7月25日 | |
4 | 浅沼孫之助 | 明治31年(1898年)8月15日 | 明治35年(1902年)4月9日 | 再任 |
5 | 及川今朝之助 | 明治35年(1902年)4月10日 | 明治37年(1904年)2月10日 | |
6 | 今野長右衛門 | 明治37年(1904年)2月13日 | 明治37年(1904年)7月20日 | |
7 | 及川安右衛門 | 明治37年(1904年)7月25日 | 明治40年(1907年)2月25日 | |
8 | 及川洋 | 明治44年(1911年)10月1日 | 大正4年(1915年)2月1日 | |
9 | 伊達宗敬 | 大正4年(1915年)2月6日 | 大正13年(1924年)4月10日 | |
10 | 大内丑之助 | 大正13年(1924年)4月12日 | 大正13年(1924年)9月10日 | |
11 | 佐藤総吉 | 大正13年(1924年)9月12日 | 大正15年(1926年)12月12日 | |
12 | 菊池金太郎 | 大正15年(1926年)12月21日 | 昭和5年(1930年)10月1日 | |
13 | 金盛理 | 昭和5年(1930年)10月11日 | 昭和7年(1932年)5月10日 | |
14 | 佐藤総吉 | 昭和7年(1932年)5月11日 | 昭和17年(1942年)1月31日 | 再任 |
15 | 菊池金太郎 | 昭和17年(1942年)2月1日 | 昭和19年(1944年)9月5日 | 再任 |
16 | 安部興之助 | 昭和19年(1944年)9月6日 | 昭和21年(1946年)5月20日 | |
17 | 今野哲郎 | 昭和21年(1946年)5月21日 | 昭和22年(1947年)4月10日 | |
18 | 菊池亀覚 | 昭和22年(1947年)4月14日 | 昭和30年(1955年)2月9日 |
出身有名人
[編集]- 大滝詠一(ミュージシャン、音楽プロデューサー)
交通
[編集]道路
[編集]現在は旧村内に釜石自動車道の江刺田瀬インターチェンジが所在するが、当時は未開通。
参考文献
[編集]- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)