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桑嶋忠真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
桑嶋忠真
時代 江戸時代
生誕 享保7年(1722年
死没 天明6年(1786年9月3日
別名 彦惣、熊六、新五右衛門
戒名 英昇
官位 浅草東國寺
氏族 岡本氏
父母 父:桑嶋忠陳 母:五十嵐藤助娘
養父:桑嶋忠純    
兄弟 忠純藤井英延室、諏訪部定親室、忠真
忠順(養子)、(養子)、
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桑嶋 忠真(くわしま ただざね)は、江戸時代御家人

略歴

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忠陳の嫡男として生まれるが、幼かったため、叔父である忠純が忠陳の養子に入り、繋ぎ的に家督を継いだため、系譜では忠陳の次男という扱いになっている。

忠純の後見の下、元文4年(1739年11月7日徳川吉宗に初めて謁見し、寛延3年(1750年4月30日江戸城馬医見習いとなる。寛延2年(1749年5月3日、兄忠純の死と共に家督を継ぎ馬医となる。

男子に恵まれず、忠順を養子として迎えるが先立ってしまったため、改めてを娘婿にして養子に迎え、後継とする。

天明6年(1786年9月3日没。享年65。

参考文献

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