桂田勝
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桂田 勝 | |
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生誕 |
1942年11月20日 東京都 |
死没 |
2013年4月24日(70歳没) 群馬県太田市 |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京大学航空学科 |
業績 | |
勤務先 |
富士重工業株式会社 米国ミシガン大学 高速自動車研究所客員研究員 スバル技術本部車体研究実験部 スバル技術研究所 スバルテクニカインターナショナル |
設計 | スバル/富士重工業のレガシィ・シリーズ(3代目の開発責任者) |
桂田 勝(かつらだ まさる、1942年11月20日[1] - 2013年4月24日)は日本の自動車技術者。富士重工業株式会社の元常務取締役、スバルテクニカインターナショナル元社長。東京都出身。飛行機技術にも精通していた。
来歴・人物
[編集]- 1966年富士重工業入社。以来、一貫して同社の自動車製造技術や4輪駆動システム、水平対向エンジン(BOXER)に携わる。
- 1971年秋から約1年間、米国ミシガン大学高速自動車研究所客員研究員を務め、衝突乗員挙動解析プログラムの作成に参加。
- 1983年よりスバル技術本部車体研究実験部へ。研究実験1部主査として初代レガシィ、同部担当部長としてアルシオーネSVX、研究実験総括部長としてヴィヴィオ、初代インプレッサ、2代目レガシィの商品力総合まとめを歴任。[2]
- レガシィに関しては、1989年に発売された初代モデルの企画初期段階からかかわり、2001年6月には富士重工業常務執行役員兼スバル技術研究所所長に着任。これらの職務を兼務しつつ、レガシィシリーズ3代目からは開発責任者(主管)として、10月からスバルテクニカインターナショナルの代表取締役社長に就任した。
- 2003年7月からSTI専任となり、WRCを始めとしたスバルのモータースポーツ活動の指揮官として活動した。またラリー活動においても長期間携わっていたことも知られている。富士重工業の4輪駆動技術や水平対向エンジン(ボクサー:BOXER)の良き理解者であった。
- 2013年4月24日、喉頭癌のため死去[3]。70歳没。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.158
- ^ モーターファン別冊特別号「SUBARUレガシィのすべて」1999年(平成11年)8月9日発行
- ^ 桂田勝氏が死去 元富士重工業常務執行役員 日本経済新聞 2013年4月25日