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桂岸寺

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桂岸寺
所在地 茨城県水戸市松本町13-19
位置 北緯36度23分31.2秒 東経140度27分17.6秒 / 北緯36.392000度 東経140.454889度 / 36.392000; 140.454889座標: 北緯36度23分31.2秒 東経140度27分17.6秒 / 北緯36.392000度 東経140.454889度 / 36.392000; 140.454889
山号 大悲山
院号 保和院
宗派 真言宗豊山派
本尊 勢至菩薩
創建年 天和2年(1682年
開山 檀海
開基 中山信治
別称 二十三夜尊
公式サイト 茨城県水戸市|寺院|真言宗|あじさい寺|二十三夜尊桂岸寺
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桂岸寺(けいがんじ)は、茨城県水戸市にある真言宗豊山派寺院

歴史

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1682年天和2年)、水戸藩附家老常陸松岡藩藩主中山信治の開基である。信治は先代の信政の菩提を弔うため、元々同市の全隈町にあった「普門寺」を移転させた。そして主君の徳川光圀より「保和院」と名付けられた[1][2][3]

1755年宝暦5年)、戒律復興の念願が認められ、仁和寺末寺となるとともに、律宗も兼ねることになり、寺号も「桂岸寺」となった。なお現在は新義真言宗の真言宗豊山派に属している[1][2]

当寺の本尊は、行基作と伝えられる勢至菩薩像である。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての佐竹家当主佐竹貞義念持仏といわれている。別名は「二十三夜尊」である[1]

保和苑

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当寺の隣に日本庭園がある。この庭園は「保和苑」と称し、元々は当寺の庭園であった。元禄年間(1688年 - 1704年)に光圀によって「保和園」と命名された。昭和初期に拡張工事を行い、「保和」に改称された。しかし太平洋戦争が勃発し、すっかり荒廃してしまった。戦後1950年(昭和25年)に当寺は保和苑を水戸市に寄贈し、以降は水戸市の庭園として整備されることになった[1]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、22-25p
  2. ^ a b 二十三夜尊 桂岸寺水戸観光コンベンション協会
  3. ^ 桂岸寺トップページ桂岸寺

参考文献

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  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年

外部リンク

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