根岸峮太郎
根岸 峮太郎(ねぎし きんたろう、1860年10月20日(万延元年9月7日[1][2][注釈 1])- 1946年(昭和21年)12月15日[3])は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、群馬県群馬郡大類村長。
経歴
[編集]上野国群馬郡柴崎村[4][5](群馬県[3]西群馬郡大類村[6]、群馬郡大類村大字柴崎村[7]を経て現高崎市柴崎町)で、豪農[8]・根岸紋吉、マツの長男として生まれた[2][4][6]。小学校を卒業後、貫名正祁に師事し漢学を修めた[3][4][6][9]。1884年(明治17年)7月、家督を相続[2]。農業を営む[3]。
群馬県第22学区学務委員、大類村会議員に就任[3][4][5][7]。1890年(明治23年)8月、群馬県会議員に選出され7期18年在任し、同常置委員、同参事会員も務めた[2][3][4][8][9]。1905年(明治38年)7月、大類村長に就任[4]。その他、土地収用審査委員、群馬県地方衛生会委員、県森林会議員、同勧業諮問会員、群馬郡徴兵参事会員、大類村農会長、県農会評議員などにも在任した[3][7]。
1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、立憲政友会所属)で初当選[4][5][8][10]。以後、第12回総選挙まで2回再選され、衆議院議員に連続3期在任した[3][4][8][9]。この間、立憲政友会群馬支部幹事、同常任幹事などを務めた[7]。1915年(大正4年)大浦事件で検挙され、1916年(大正5年)6月、高松地方裁判所で懲役3か月・執行猶予3年の判決を受け[11]、控訴して同年10月、大阪控訴院で懲役3か月・執行猶予3年の判決を受けた[12]。これにより勲八等及び韓国併合記念章、大礼記念章を褫奪された[13]。1930年(昭和5年)4月、大類村長に再任され[4][5]、県町村会長も務めた[5]。
実業界では、群馬県農工銀行取締役、鳥川水電副社長、岩鼻鉄道社長などを務めた[2][3][4][5][7][8][9]。
国政選挙歴
[編集]- 第10回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1908年5月、立憲政友会)当選[10]
- 第11回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1912年5月、立憲政友会)当選[10]
- 第12回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1915年3月、無所属)当選[10]
- 第15回衆議院議員総選挙(群馬県第4区、1924年5月、政友本党)落選[14]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『現代日本の政治家』公友倶楽部64頁では9月15日。
出典
[編集]- ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、8頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』ね2頁。
- ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』485頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『群馬県人名大事典』402頁。
- ^ a b c d e f 『群馬新百科事典』605-606頁。
- ^ a b c 『上毛近世百傑伝 上』162-164頁。
- ^ a b c d e 『現代日本の政治家』公友倶楽部64-65頁。
- ^ a b c d e 『大日本人物名鑑〔巻4の1〕』258-259頁。
- ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』344頁。
- ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』50頁。
- ^ 『日本政治裁判史録 大正』126頁。
- ^ 1916年11月10日付法律新聞(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 官報 1918年06月06日 一五〇頁
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』11頁。
参考文献
[編集]- 山中啓一『上毛近世百傑伝 上』山中啓一、1891年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『大日本人物名鑑〔巻4の1〕』ルーブル社出版部、1921年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 我妻栄編集代表『日本政治裁判史録 大正』第一法規出版、1969年。
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。