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栃木県立宇都宮女子高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栃木県立宇都宮女子高等学校
地図北緯36度33分29.8秒 東経139度52分12.6秒 / 北緯36.558278度 東経139.870167度 / 36.558278; 139.870167座標: 北緯36度33分29.8秒 東経139度52分12.6秒 / 北緯36.558278度 東経139.870167度 / 36.558278; 139.870167
過去の名称 栃木女學校
栃木模範女學校
栃木縣第一女子中學校
栃木縣尋常中學校女學部
栃木縣髙等女學校
栃木縣立宇都宮髙等女學校
栃木縣立宇都宮第一髙等女學校
栃木県立宇都宮女子高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 栃木県の旗 栃木県
校訓 強健実践
自主創造
温雅清純
至誠敬愛
報恩奉仕
設立年月日 1875年
共学・別学 男女別学(女子校)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学校コード D109210000034 ウィキデータを編集
高校コード 09104K
所在地 320-0863
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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栃木県立宇都宮女子高等学校(とちぎけんりつうつのみやじょしこうとうがっこう, Tochigi Prefectural Utsunomiya Joshi High School)は、栃木県宇都宮市操町にある高等学校。略称は「宇女高(うじょこう)」。

概要

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歴史
1875年明治8年)に「栃木女学校」として創立。公立女子高としては日本で最古の歴史をもつ[1]。女子中学校、中学校女子部、高等女学校を経て、1948年(昭和23年)に女子高等学校となり、現在に至る。2015年平成27年)に創立140周年を迎えた。
校訓
  • 強健実践
  • 自主創造
  • 温雅清純
  • 至誠敬愛
  • 報恩奉仕
制服
制定されていない[1]
校章
マドンナリリーをかたどったもので、川上澄生がデザインしたものである[2]
六校会
県立高校6校の生徒会役員が集まり、生徒会の意義や活動等について懇談する会。5校(宇都宮宇都宮女子栃木栃木女子佐野 )は固定メンバーとして毎回参加し、残り1校をゲストとして招く[3]
通学者
宇都宮市出身者が大半を占めているが、鹿沼市壬生町下野市上三川町芳賀町高根沢町さくら市といった近隣の市町村からの通学者も多い。また、矢板市塩谷町那須塩原市那須烏山市日光市といった遠方からの通学者もいる。
かつては学区制度があり、宇都宮市[4]・壬生町・下野市[5]・上三川町・芳賀町・高根沢町・さくら市[6]の3市4町以外の市町村の出身者は定員の25%までしか認められなかった。学区制度は2014年度入試(2015年度入学生)より廃止された。

沿革

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高等女学校時代

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  • 1875年(明治8年)10月 - 下都賀郡栃木町(現・栃木市薗部町)に「栃木女学校」として創設[7]。初代校長は手塚信敬。
  • 1877年(明治10年)2月 - 「栃木模範女学校」と改称[8]
  • 1879年(明治12年)7月 - 「栃木県第一女子中学校」と改称[8]
  • 1881年(明治14年)5月 - 中学校(男子校、栃木県立宇都宮高等学校の前身)に統合され、「栃木県第一中学校女学部」となる[8]
  • 1885年(明治18年)4月 - 栃木県庁の宇都宮移転に伴い、塙田町(県庁前)に移転[8]
  • 1886年(明治19年)9月 - 「栃木県尋常中学校女学部」と改称。
  • 1893年(明治26年)
    • 4月 - 栃木県尋常中学校から分離し、「栃木県高等女学校」と改称。
    • 6月 - 裁縫専修科を設置。
    • 7月 - 河内郡姿川村鶴田(現・宇都宮高等学校敷地内)に移転。
  • 1895年(明治28年)4月 - 塙田町の旧校舎に復帰。
  • 1896年(明治29年)10月 - 同窓会を発会。
  • 1899年(明治32年)4月 - 専任校長が決定し、小堀源が就任。
  • 1900年(明治33年)3月 - 服装規定を設け、全校生着用に統一。
  • 1901年(明治34年)5月 - 「栃木県立宇都宮高等女学校」と改称。
  • 1902年(明治35年)
    • 8月 - 寄宿舎を西大寛町の新設校舎に移転
    • 9月 - 定員を本科400名、補習科60名、技芸専修科60名、計520名とする。補習科・技芸専修科は本科修了後の課程。
  • 1903年(明治36年)
    • 4月 - 西大寛町(現在地)に移転[8]
    • 5月 - 校友会(生徒会)が発足。
    • 6月 - 校歌(旧校歌)を制定
    • 9月 - 生徒服装規準を決定し、木綿海老茶袴、短とする。
    • 11月 -徽章(胸章)を制定。
  • 1905年(明治38年)3月 - 新校舎が全館完成。
  • 1910年(明治43年)12月 - 技芸専修科を廃止。
  • 1911年(明治44年)
    • 2月 - 実科を設置。
    • 4月 - 校章(徽章)を改定。校訓を制定。
  • 1915年大正4年)
    • 9月 - 服装を木綿長袖から元禄袖[9]に改正。
    • 10月 - 創立40周年を記念し、操橋(みさおばし)が開通。
  • 1918年(大正7年)3月 - 実科を廃止。
  • 1921年(大正10年)
    • 3月 - 補習科を廃止。
    • 4月 - 校歌を改定(現校歌)。
  • 1922年(大正11年)2月 - 生徒定員を1000名とする。
  • 1925年(大正14年)2月 - 標準校服を洋服(背広型)とする。
  • 1928年(昭和3年)
    • 4月 - 同窓会家事専攻部を設置。
    • 8月 - 創立50周年記念館が完成。
  • 1931年(昭和6年)4月1日 - 宇都宮市内に高等女学校が新設[10]されたことにより、「栃木県宇都宮第一高等女学校」と改称。
  • 1932年(昭和7年)4月 - 服装をセーラー型に改定。校章(胸章)を改定。
  • 1935年(昭和10年)10月 - 生徒保護者会が発足。
  • 1936年(昭和11年)4月 - 同窓会経営の専攻科を県立に移管し、修業年限を2年とする。創立60周年を記念し体育館が完成。
  • 1939年(昭和14年)2月 - 修業年限を5年とする。
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月 - 校友会を改組し、報国団とする。文部省により女子中等学校生徒の服装(ヘチマ衿[11]バンド付)が制定される。
    • 6月 - 生徒勤労動員が開始。
  • 1942年(昭和17年)9月 - 寄宿舎内で熱病(パラチフス熱)が蔓延。15日までに231人が症状を訴えた[12]
  • 1943年(昭和18年)
    • この年 - 女子中等学校制服が(上)和服型・(下)モンペに改定される。
    • 4月 - 中等学校令の施行により、修業年限が4年に短縮される。
  • 1944年(昭和19年)
    • 8月 - みさお保育園を開設し、勤労者の子弟教育を開始。陸軍省4年生に戦時看護訓練を実施。
    • 9月 - 生徒通年動員が開始。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月 - 専攻科を廃止。
    • 4月 - みさお保育園を廃止。
    • 9月 - 戦時通達による附設課程を廃止。
    • 11月 - 報国団を解散し、生徒自治会が発足。校友会が再び発足。
  • 1946年(昭和21年)3月 - 修業年限が5年に復帰。
  • 1947年(昭和22年)
    • 2月 - 校友会が解散し、生徒会が発足。
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
      • 高等女学校の募集を停止。
      • 新制中学校を併設し(名称:栃木県宇都宮第一高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制高校2・3年生として収容。
      • 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ(1年不在)の中学校であった。
      • 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍(4年で卒業することもできた)。
      • 文部省の補助を受け、附設幼稚園を開設。

新制女子高等学校

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  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
      • 高等女学校が廃止され、新制高等学校「宇都宮女子高等学校」が発足。
      • 高等女学校卒業生(希望者)を新制高校3年生として、高等女学校4年修了者を新制高校2年生として編入。
      • 併設中学校卒業生を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校は継承され(名称:宇都宮女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
    • 10月 - 保護者会を解散し、PTAを発足。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。併設中学校卒業生は高校1年生となる。
    • 4月 - 宇都宮市立宇都宮高等学校(旧・市立宇都宮高等女学校)を統合[13]
    • 9月 - 校章(白百合バッジ)を制定。
  • 1951年(昭和26年)
    • 1月 - 図書館が完成。
    • 4月 - 「栃木県立宇都宮女子高等学校」(現校名)と改称。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 家庭科1クラス50名の募集を開始。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月 - 家庭科の募集を停止。
    • 11月 - 正が完成。校舎増改築工事が完成。
  • 1965年(昭和40年)1月 - 附属みさお幼稚園を設置。
  • 1968年(昭和43年)12月 - 明鏡寮・プールが完成。
  • 1975年(昭和50年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1977年(昭和52年)7月 - 講堂・記念館を解体。
  • 1978年(昭和53年)7月 - 体育館兼講堂が完成。
  • 1979年(昭和54年)10月 - 体育館兼講堂の付属庭園が完成。
  • 1989年(平成元年)5月 - 旧図書館を解体。
  • 1990年(平成2年)
    • 1月 - 新図書館が完成。
    • 7月 - 新プールが完成。
  • 1995年(平成7年)3月 - 第2体育館が完成。
  • 2002年(平成14年)4月 - 2学期制を導入。
  • 2003年(平成15年)3月31日 - みさお幼稚園を閉園。
  • 2004年(平成16年)12月 - 校内LANを整備。
  • 2007年(平成19年)4月 - 普通教室に冷房を設置。
  • 2008年(平成20年)4月 - 文部科学省により、スーパーサイエンスハイスクール (SSH) に指定される。

アクセス

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の各路線で「宇女高前」下車[14]

著名な出身者

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脚注

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  1. ^ a b 栃木県立宇都宮女子高等学校”. 栃木県立宇都宮女子高等学校. 2020年12月14日閲覧。
  2. ^ マドンナリリー”. 栃木県立宇都宮女子高等学校. 2020年12月14日閲覧。
  3. ^ 生徒会役員 六校会参加報告”. 栃木県立栃木高等学校 (2012年10月20日). 2015年6月14日閲覧。
  4. ^ 河内町と旧上河内町を含む。
  5. ^ 全域。合併前は旧石橋町のみが対象で、旧国分寺町と旧南河内町は学区外扱いだった。
  6. ^ 全域。合併前は旧氏家町のみが対象で、旧喜連川町は学区外扱いだった。
  7. ^ 宇都宮市西公民館ふるさと研究講座 編 1990, pp. 50–51.
  8. ^ a b c d e 宇都宮市西公民館ふるさと研究講座 編 1990, p. 51.
  9. ^ 和服の袖型の一種。袖丈が短く、袖の丸みが大きい。
  10. ^ 栃木県立宇都宮第二高等女学校。栃木県立宇都宮中央女子高等学校の前身。
  11. ^ ヘチマのように丸みを帯びている衿型。
  12. ^ 熱病の正体はパラチフス(昭和17年9月16日 下野新聞『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p652 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  13. ^ 宇都宮市西公民館ふるさと研究講座 編 1990, p. 52.
  14. ^ 栃木県立宇都宮女子高等学校を参考に調整執筆。
  15. ^ 成田有佳 (2017年9月12日). “ぐるっと首都圏・母校をたずねる:栃木県立宇都宮女子高/5 混乱期にも西洋文化学ぶ 井村君江さん”. 毎日新聞. 2020年12月14日閲覧。
  16. ^ 野田樹 (2017年8月8日). “ぐるっと首都圏・母校をたずねる:栃木県立宇都宮女子高/1 文武両道、刺激もらった 安藤梢選手”. 毎日新聞. 2020年12月14日閲覧。
  17. ^ 高橋隆輔 (2017年8月29日). “ぐるっと首都圏・母校をたずねる:栃木県立宇都宮女子高/3 自由に伴う責任学ぶ 礒野佑子さん”. 毎日新聞. 2020年12月14日閲覧。
  18. ^ a b 成田有佳 (2017年8月22日). “ぐるっと首都圏・母校をたずねる:栃木県立宇都宮女子高/2 演劇も歌も 欲張り許容 渡辺江里子さん”. 毎日新聞. 2020年12月14日閲覧。
  19. ^ 萩原桂菜 (2017年9月19日). “ぐるっと首都圏・母校をたずねる:栃木県立宇都宮女子高/6 人生を広げる夢持てた 黒田杏子さん”. 毎日新聞. 2020年12月14日閲覧。
  20. ^ 田沼敦子 (atsuko.tanuma.9) - Facebook

参考文献

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  • 宇都宮市西公民館ふるさと研究講座 編 編『陽西今昔物語』宇都宮市西公民館、1990年6月15日、63頁。 

関連項目

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外部リンク

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