栃不動周二
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基礎情報 | ||||
四股名 | 藤原 → 栃不動 周二 | |||
本名 | 藤原 周二 | |||
生年月日 | 1977年6月14日(47歳) | |||
出身 | 埼玉県朝霞市 | |||
身長 | 190cm | |||
体重 | 168kg | |||
BMI | 46.54 | |||
所属部屋 | 春日野部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西十両12枚目 | |||
生涯戦歴 | 400勝369敗60休(116場所) | |||
優勝 | 三段目優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1993年3月場所 | |||
引退 | 2012年7月場所 | |||
趣味 | カラオケ | |||
備考 | ||||
2012年7月30日現在 |
栃不動 周二(とちふどう しゅうじ、1977年6月14日 - )は、埼玉県朝霞市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤原 周二(ふじわら しゅうじ)。身長190cm、体重168kg。自己最高位は西十両12枚目(2004年1月場所)、血液型はA型。
人物
[編集]小学校時代から相撲を初め、中学時代は柔道部に所属していたが相撲も取り続けた。中学卒業と同時に春日野部屋に入門。1993年3月場所に初土俵を踏んだ。同年9月場所には序ノ口で6勝1敗の成績で優勝決定戦に進出、実兄・藤原(最高位は序二段)と対戦し惜しくも敗れ優勝を逃した。これは本場所の土俵で史上初めての兄弟対決となったことから、当時は話題になった。以降、着実に番付を上げて行ったが、幕下上位に進出した1999年に網膜剥離を患った。2度に渡る手術で一時は三段目の下位まで番付を落としたが奮起し、一気に幕下中位まで番付を戻した。幕下上位でやや苦労したが、2003年9月場所には十両に昇進した。
この場所のほか、2004年1月場所、5月場所で関取を務めたが、勝ち越しは果たせなかった。その後は幕下下位と三段目での相撲が続いていたが2011年11月場所で1勝6敗と大きく負け越したため翌2012年1月場所からは序二段に陥落した。西序二段63枚目であった2012年7月場所での全休を最後に引退した[1]。しかし、引退届提出が9月場所の番付編成会議後であったことから、9月場所の番付には名前が残り、最終的な地位は西序ノ口16枚目となった。
主な成績
[編集]通算成績
[編集]- 生涯成績:400勝369敗60休 勝率.520
- 十両成績:14勝31敗 勝率.311
- 現役在位:116場所
- 十両在位:3場所
- 各段優勝
- 三段目優勝:1回(1998年1月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1993年 (平成5年) |
x | (前相撲) | 西序ノ口28枚目 4–3 |
西序二段175枚目 3–4 |
西序ノ口2枚目 6–1 |
西序二段90枚目 3–4 |
1994年 (平成6年) |
西序二段115枚目 3–4 |
東序二段133枚目 5–2 |
西序二段76枚目 5–2 |
西序二段39枚目 2–5 |
西序二段79枚目 3–4 |
西序二段95枚目 5–2 |
1995年 (平成7年) |
西序二段47枚目 2–5 |
西序二段84枚目 0–4–3 |
東序二段140枚目 6–1 |
東序二段59枚目 5–2 |
西序二段22枚目 4–3 |
西三段目100枚目 5–2 |
1996年 (平成8年) |
西三段目61枚目 4–3 |
西三段目44枚目 3–4 |
東三段目61枚目 6–1 |
東三段目12枚目 5–2 |
西幕下48枚目 3–4 |
西幕下59枚目 2–5 |
1997年 (平成9年) |
東三段目25枚目 3–4 |
西三段目39枚目 休場 0–0–7 |
東三段目99枚目 5–2 |
東三段目59枚目 5–2 |
西三段目32枚目 3–4 |
東三段目51枚目 4–3 |
1998年 (平成10年) |
東三段目35枚目 優勝 7–0 |
東幕下24枚目 4–3 |
東幕下19枚目 6–1 |
東幕下6枚目 4–3 |
西幕下3枚目 3–4 |
西幕下8枚目 2–5 |
1999年 (平成11年) |
東幕下23枚目 4–3 |
西幕下17枚目 2–5 |
東幕下35枚目 4–3 |
東幕下27枚目 5–2 |
東幕下13枚目 2–5 |
東幕下25枚目 休場 0–0–7 |
2000年 (平成12年) |
東三段目5枚目 休場 0–0–7 |
東三段目65枚目 5–2 |
東三段目34枚目 4–3 |
東三段目18枚目 6–1 |
西幕下44枚目 休場 0–0–7 |
東三段目24枚目 6–1 |
2001年 (平成13年) |
西幕下45枚目 6–1 |
西幕下21枚目 3–4 |
西幕下28枚目 4–3 |
西幕下19枚目 2–5 |
東幕下35枚目 4–3 |
東幕下30枚目 5–2 |
2002年 (平成14年) |
東幕下14枚目 4–3 |
西幕下10枚目 2–5 |
東幕下20枚目 2–5 |
東幕下36枚目 4–3 |
西幕下30枚目 5–2 |
東幕下17枚目 4–3 |
2003年 (平成15年) |
西幕下13枚目 4–3 |
西幕下9枚目 3–4 |
東幕下14枚目 5–2 |
西幕下4枚目 5–2 |
東十両13枚目 5–10 |
東幕下6枚目 5–2 |
2004年 (平成16年) |
西十両12枚目 5–10 |
東幕下3枚目 4–3 |
東十両14枚目 4–11 |
東幕下10枚目 2–5 |
東幕下22枚目 2–4–1 |
西幕下37枚目 休場 0–0–7 |
2005年 (平成17年) |
西三段目17枚目 休場 0–0–7 |
西三段目77枚目 休場 0–0–7 |
西序二段37枚目 6–1 |
東三段目71枚目 6–1 |
東三段目17枚目 5–2 |
西幕下54枚目 4–3 |
2006年 (平成18年) |
西幕下45枚目 3–4 |
西幕下54枚目 3–4 |
西三段目7枚目 5–2 |
東幕下46枚目 3–4 |
東幕下57枚目 6–1 |
東幕下26枚目 1–6 |
2007年 (平成19年) |
東幕下53枚目 5–2 |
東幕下36枚目 1–6 |
東三段目11枚目 3–4 |
東三段目23枚目 4–3 |
東三段目12枚目 4–3 |
西三段目3枚目 2–5 |
2008年 (平成20年) |
東三段目22枚目 3–4 |
東三段目33枚目 4–3 |
西三段目17枚目 6–1 |
東幕下39枚目 4–3 |
西幕下32枚目 2–5 |
西幕下50枚目 3–4 |
2009年 (平成21年) |
西三段目2枚目 6–1 |
東幕下29枚目 1–6 |
西幕下51枚目 1–6 |
西三段目27枚目 4–3 |
東三段目14枚目 4–3 |
東三段目4枚目 3–4 |
2010年 (平成22年) |
西三段目19枚目 3–4 |
東三段目33枚目 1–6 |
東三段目67枚目 5–2 |
東三段目42枚目 5–2 |
西三段目13枚目 2–5 |
東三段目36枚目 3–4 |
2011年 (平成23年) |
西三段目53枚目 4–3 |
八百長問題 により中止 |
西三段目38枚目 3–4 |
東三段目42枚目 3–4 |
東三段目54枚目 2–5 |
東三段目82枚目 1–6 |
2012年 (平成24年) |
東序二段23枚目 4–3 |
東序二段5枚目 3–4 |
西序二段29枚目 2–5 |
西序二段63枚目 休場 0–0–7 |
西序ノ口16枚目 引退 0–0–0 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 藤原 周二(ふじわら しゅうじ)1993年3月場所
- 栃不動 周二(とちふどう-)1993年5月場所 - 2012年9月場所