柏木征夫
柏木 征夫 かしわぎ いくお | |
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生年月日 | 1941年2月10日(83歳) |
出身校 | 京都大学農学部 |
前職 | 地方公務員(和歌山県) |
称号 | 旭日中綬章 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1992年6月11日 - 2020年6月10日 |
柏木 征夫(かしわぎ いくお、1941年(昭和16年)2月10日[1] - )は、日本の政治家。和歌山県御坊市長(7期)。
概要
[編集]1964年京都大学農学部卒業後、京都大学助手、福岡県農業試験場を経て、1979年に和歌山県庁に入庁[2]。農業振興課副課長を務める[2]。
1992年、和歌山県選出の二階俊博衆議院議員の誘いを受けて[3]御坊市長選挙に立候補し、柏木以外に立候補者がいなかったため、無投票で初当選した[4]。自由民主党所属だった二階はその後新生党、新進党、自由党、保守党、保守新党を経て自民党に復党するが、柏木は一貫して二階の支援を受け、御坊市長に当選し続けた。なお、2012年までの6度の市長選のうち、4度は無投票による当選であった[5]。
2020年6月10日、任期満了により御坊市長を退任。[6][7]
2016年御坊市長選
[編集]2016年の御坊市長選では一転、二階俊博の長男で、二階の政策担当秘書を務める二階俊樹が無所属での立候補を表明[10]。二階が立候補を表明した時点では、柏木は市長選への対応を明らかにしていなかったが、3月9日の御坊市議会で7選出馬を表明[11]。二階は父・俊博をはじめ森山裕農林水産大臣、稲田朋美自民党政調会長、小泉進次郎衆議院議員らの応援を大々的に受ける一方、御坊市議会議長や世耕弘成参議院議員が柏木の支援に回り[12]、保守分裂選挙の様相を呈したが、柏木が二階を3千5百票弱の大差で破り、全国で最多の7選を果たした[5]。自民党幹部や閣僚をも動員し、徹底した組織型選挙を繰り広げて長男を支援したにもかかわらず大差で敗北したため、地元・和歌山では「二階王国の落日」、さらには御坊市長選で二階俊樹を支援せず、自民党所属議員ながら柏木を支持した世耕弘成参議院議員の、二階俊博の選出選挙区である和歌山3区への鞍替えもささやかれていた[13]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、319頁。
- ^ a b “柏木征夫・和歌山県御坊市長 - トップインタビュー”. 時事通信 2016年6月4日閲覧。
- ^ “「二階王国」分断危機、市民は複雑 和歌山・御坊市長選”. 朝日新聞. (2016年5月12日) 2016年6月4日閲覧。
- ^ “「二階王国」分裂選挙 御坊市長選、現職と長男が出馬へ”. 朝日新聞. (2016年5月12日) 2016年6月4日閲覧。
- ^ a b “御坊市長選:現職の柏木氏7選、二階氏の長男を大差で破る”. 産経新聞. (2016年5月23日) 2016年6月4日閲覧。
- ^ “御坊市長に三浦氏 無投票で初当選”. 紀伊民報. (2020年5月18日) 2021年5月19日閲覧。
- ^ “「二階王国」4年ぶりに分裂解消へ 和歌山・御坊市長選”. 朝日新聞デジタル. (2020年5月16日) 2021年5月19日閲覧。
- ^ 令和3年春の叙勲受章者名簿(旭日中綬章受章者) - 内閣府
- ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日
- ^ “自民、二階氏の長男が和歌山・御坊市長選に出馬へ 地元担当秘書”. 産経新聞. (2016年2月18日) 2016年6月4日閲覧。
- ^ “御坊市長選一騎打ちへ 現職柏木氏出馬表明”. 日高新報. (2016年2月18日) 2016年6月4日閲覧。
- ^ “御坊市長選 現職柏木氏が事務所開き”. 日高新報. (2016年4月15日) 2016年6月4日閲覧。
- ^ “落日の二階王国 世耕官房副長官が参院から衆院へ鞍替えも?”. 週刊朝日. (2016年6月3日) 2016年6月4日閲覧。