柏崎市陸上競技場
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柏崎市陸上競技場 | |
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施設情報 | |
所在地 | 新潟県柏崎市学校町1-40 |
位置 | 北緯37度22分21秒 東経138度33分16秒 / 北緯37.37250度 東経138.55444度座標: 北緯37度22分21秒 東経138度33分16秒 / 北緯37.37250度 東経138.55444度 |
開場 | 1923年 |
所有者 | 柏崎市 |
運用者 | 公益財団法人かしわざき振興財団 |
グラウンド | 高麗芝 |
照明 | 5基 |
大型映像装置 | 無し |
旧称 | |
刈羽郡体育協会グラウンド | |
使用チーム、大会 | |
収容人員 | |
5,252人 | |
アクセス | |
#交通を参照。 |
柏崎市陸上競技場(かしわざきしりくじょうきょうぎじょう)は、新潟県柏崎市学校町にある陸上競技場。施設は柏崎市が所有し、公益財団法人かしわざき振興財団が指定管理者として運営管理を行っている。1923年(大正12年)に建設された現存する日本で最古の日本陸上競技連盟公認陸上競技場である[1]。
歴史
[編集]1921年(大正10年)、地元の体操教員であった坂田四郎吉(1887年 - 1967年)が地元紙の柏崎日報に大運動場の建設を呼びかける匿名投書を行った。反対の声も強い中、坂田は農村を歩いて支持を募り、刈羽郡議会議員の協力を取り付け、1922年(大正11年)には柏崎尋常小学校裏の砂丘地での建設が決定し、郡議会で競技場建設に向けた補助金の支出が議決された。1923年(大正12年)5月に着工し、中鯖石青年団100人の労力奉仕も受け、同年8月26日「刈羽郡体育協会グラウンド」として完成した。当時は400メートルトラックを備えた競技場は全国でも珍しく、アムステルダム五輪三段跳金メダリストの織田幹雄、ロサンゼルス、ベルリン両五輪棒高跳銀メダリストの西田修平をはじめとして、県外からも多くのアスリートが練習のために訪れた。1930年(昭和5年)には全日本陸上競技連盟の乙種公認競技場に認定された。1980年(昭和55年)にはウレタン製の全天候型走路8レーンを整備した[1][2]。2016年度(平成28年度)に全面改装された[3]。
施設概要
[編集]※ 出典[3]
交通
[編集]周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “「国内最古」陸上競技場、完成100年へ…織田幹雄らオリンピアン育む”. 読売新聞. (2023年6月25日) 2023年6月25日閲覧。
- ^ “柏崎市陸上競技場は令和5年8月で100周年を迎えます”. 柏崎市教育委員会スポーツ振興課. 2023年6月25日閲覧。
- ^ a b “柏崎市陸上競技場 TRACK&FIELD” (PDF). 柏崎市教育委員会スポーツ振興課. 2023年6月25日閲覧。