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林五一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林五一翁頌徳碑
林農園 五一わいん

林 五一(はやし ごいち、1890年8月15日 - 1992年3月7日)は、日本の篤農家、実業家。「五一わいん」で知られる林農園創業者。長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)生まれ。

略歴

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  • 明治23年(1890年) - 製糸業を営む林市十、とわの三男として生まれる。
  • 明治38年(1905年) - 平野村岡谷尋常小学校卒業。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)入学。病気療養のため中途退学。
  • 明治44年(1911年) - 宗賀村桔梗ヶ原塩尻市宗賀)に入植。約5.8haの果樹園を開設[1]
  • 大正7年(1918年) - 桔梗ヶ原農事改良組合創立。組合長となる(1925年まで)。を初出荷。
  • 大正8年(1919年) - 本格的にワインの醸造を開始[1]
  • 大正9年(1920年) - 甘味ぶどう酒およびブランデーの醸造を開始。
  • 大正10年(1921年) - 平和博覧会において20世紀梨3等賞を受ける。
  • 大正13年(1924年) - 桔梗ヶ原購買販売組合長。
  • 大正14年(1925年) - 宗賀村産業産業組合理事(1928年まで)。宗賀村会議員(1933年まで)。
  • 昭和2年(1927年) - 塩尻合同運送株式会社社長(1940年年まで)。
  • 昭和6年(1931年) - ぶどうジュースの製造を開始。
  • 昭和9年(1934年) - 桔梗ヶ原ぶどう加工組合長(1937年まで)。
  • 昭和10年(1935年) - コンコード等の消費拡大を目的として寿屋(サントリー)の工場を誘致。
  • 昭和11年(1936年) - 桔梗ヶ原試験地設立期成同盟会実行委員長。
  • 昭和12年(1937年) - 中信ぶどう酒組合長(1943年まで)。
  • 昭和15年(1940年) - 塩尻通運株式会社社長(1941年日本通運に合併)。
  • 昭和16年(1941年) - 塩尻青果株式会社副社長。
  • 昭和18年(1943年) - 日本果実酒組合理事(1946年まで)。
  • 昭和23年(1946年) - 桔梗ヶ原果実出荷組合(のち塩尻市果実園芸農業協同組合)組合長(1964年まで)。
  • 昭和35年(1960年) - 塩尻市公平委員会委員(1963年まで)。
  • 昭和44年(1969年) - 黄綬褒章受勲。
  • 昭和51年(1976年) - 緑白綬有功章受勲。大日本農会より表彰。
  • 昭和58年(1983年) - 隠居。
  • 平成4年(1992年) - 死去。享年101。

脚注

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  1. ^ a b 『塩尻市誌 別冊』475ページ。

参考文献

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  • 藤田靖夫編 『林五一の生涯〜桔梗ヶ原物語〜』1999年
  • 山本博著 『日本のワイン 本格的ワイン造りに挑んだ全国のワイナリー』「五一ワイン」早川書房、2003年

外部リンク

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