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枕草子絵詞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「淑景舎、春宮に参り給ふほどのことなど」の段(第100段)。淑景舎(しげいしゃ)は、ここでは中宮定子の妹で、東宮(のちの三条天皇)妃となった藤原原子を指す。画面は原子が中宮を訪ねた場面で、奥に座すのが原子、火桶を挟んで手前は関白藤原道隆(定子・原子の父)、左の女性(後姿)は道隆の北の方・貴子、右の女性(後姿)は中宮定子[1]

枕草子絵詞(まくらのそうしえことば)とは、『枕草子』を絵画化した絵巻物。個人蔵、重要文化財枕草子絵巻(まくらのそうしえまき)ともいう。

解説

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鎌倉末期、14世紀の初頭に成立。現存は一巻、詞・絵各七段のみで、いずれも日記章段の場面が描かれている。『看聞御記永享10年12月3日(1438年12月19日)の条には「清少納言枕草子絵二巻」とあり、現存本はその残闕といわれる。伏見宮貞成親王(後崇光院)が『看聞御記』にこの「枕草子絵」の事を記した当時、枕草子絵詞は足利将軍家の所有となっており、貞成親王は将軍家からそれを拝借している。また三条西実隆の日記にも、文明15年(1483年)9月、後土御門院に命ぜられて枕草子絵詞を読進したとある。その後、大半が欠失してしまい、近世になって現在の形で大名の浅野家維新侯爵)に伝わった。

詞書に藍色の雲形文様を四隅に漉き込んだ料紙を使い、金銀泥で下絵を施してある。本文は三巻本系統、書風は伏見院流の二人の男性の筆と見られ、後光厳院をその一人に当てる説もある。絵の方は女筆であり、伏見院皇女進子内親王の説もあるが不詳。ほぼ単色の墨絵で、僅かに唇に朱色を点した。人物の輪郭には細い墨の線を、髪や調度品には濃い焦墨を使いわけ、吹抜屋台引目鉤鼻の技法を用いた。構図は精巧にして無機的で、白描大和絵の典型とされる。

現存する章段

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※章段の順序は流布本(三巻本)による。

  • 第83段「職の御曹司におはしますころ、西の廂に」(二場面)
  • 第89段「無名といふ琵琶の御琴」
  • 第100段「淑景舎、春宮にまゐり給ふ」
  • 第123段「八幡の行幸」
  • 第130段「故殿の御ために」
  • 第132段「五月ばかりに、月もなくいとくらき夜」

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 画面説明は参考文献の『葉月物語絵巻・枕草子絵詞・隆房卿艶詞絵巻』による。以下も同じ。

参考文献

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  • 小松茂美編 『葉月物語絵巻・枕草子絵詞・隆房卿艶詞絵巻』〈『日本絵巻大成』10〉  中央公論社、1978年

関連項目

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