板倉勝志
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延享2年11月10日(1745年12月2日) |
死没 | 天明5年2月29日(1785年4月8日) |
墓所 | 西尾市の長圓寺 |
官位 | 従五下主水正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 備中庭瀬藩主 |
氏族 | 板倉氏 |
父母 | 父:板倉勝興、母:植村家敬の長女 |
兄弟 | 勝志、勝紀、巨勢至親、勝喜、大久保教倫婚約者、永井直諒正室、板倉勝宦正室 |
妻 |
正室:太田資俊の娘 継室:板倉勝武の娘 側室:志村氏 |
子 | 養子:勝喜 |
板倉 勝志(いたくら かつゆき)は、江戸時代中期の大名。備中国庭瀬藩の第4代藩主。官位は従五下・主水正。重宣系板倉家5代。
略歴
[編集]第3代藩主・板倉勝興の長男として誕生。
天明4年(1784年)3月9日、父の隠居により家督を継いだが、翌年2月29日に41歳で死去した。家督は弟で養嗣子の勝喜が継いだ。