松浦靖
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松浦 靖(まつら はかる、1866年5月10日(慶応2年3月26日[1][2][3])- 1943年(昭和18年)1月29日[1])は、明治から昭和前期の陸軍軍人、華族。陸軍歩兵中佐、子爵。位階および勲等は正二位・勲二等。
経歴
[編集]平戸藩主・松浦詮の二男として生まれる[1][2][3]。1890年(明治23年)11月、旧平戸新田藩主・松浦家当主、松浦美起子の入夫となり[3]、同年12月1日、家督を相続し[2][3][4]、同月26日、子爵を叙爵した[1][2][3][5]。
1884年(明治17年)6月、陸軍予科士官生徒となり[2]、1885年(明治18年)8月、陸軍士官学校に入学[2](旧11期[6])。1889年(明治22年)7月26日、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第3連隊付となる[2][7]。日清戦争に第1師団に属して出征[2]。1898年(明治31年)10月、歩兵大尉となり歩兵第38連隊中隊長に就任[2]。日露戦争に出征し、1904年(明治37年)10月、歩兵少佐に進んだ[2]。1905年(明治38年)近衛歩兵第1連隊第1大隊長に就任[2]。1911年(明治44年)9月20日、歩兵中佐に昇進し、侍従に任じられた[1][2][8]。その後、宮内省御用掛を務めた[9]。
昭和18年1月29日薨去。享年78。墓所は松浦家菩提寺である本所の天祥寺。戒名は乾徳院殿箕山清秀大居士。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 松浦子爵家初代 1890年 - 1943年 |
次代 松浦治 |