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松浦卓造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 松浦 卓造 八段
名前 松浦 卓造
生年月日 (1915-01-22) 1915年1月22日
没年月日 (1977-03-11) 1977年3月11日(62歳没)
プロ入り年月日 1944年(29歳)
出身地 広島県三原市
所属 将棋大成会(関西)
日本将棋連盟(関西)
師匠 神田辰之助九段
段位 八段
順位戦最高クラス A級(3期)
2022年2月14日現在
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松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日 - 1977年3月11日)は、将棋棋士。八段。神田辰之助九段門下。広島県三原市出身。

経歴

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入門は遅く、1942年に神田辰之助に入門。1944年に四段に昇段。戦後の1946年順位戦C級クラスに参加し、以後トントン拍子にA級へ昇級。

晩年は病気のために休場する事がしばしばあり、最後は順位戦B級2組を欠場して現役のまま1977年に逝去。

エピソード

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左美濃戦法(天守閣美濃)や、4二銀型三間飛車破り(▲5五歩△同歩▲4五歩)の創始者である。左美濃は1960年のA級順位戦の加藤博二戦で、はじめて採用した[1]

松浦といえば酒、ケンカに本間爽悦[2]のような体格に一番の趣味がケンカ。いっぺん熊と勝負したいと吹いていた[2]。昼間に茶碗で濃いお茶を飲んでいると思ったらウイスキーをガブ飲み。東京に出てきて新宿二丁目のボッタクリバーに連れ込まれ高額を請求されたが、二人のホステスを片手ずつ持ち上げ顔と顔とをガチンコさせた。「あの女達はしばらく使いもんにならんかったじゃろう」と言っていたという[2]

昇段履歴

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  • 1942年 入門
  • 1944年 四段
  • 1947年5月10日 六段へ跳び昇段(順位戦C級西)
  • 1948年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 1954年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
  • 1977年3月11日 逝去

主な成績

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在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[3]
(出典)竜王戦
出典[4]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1946 1 四段・五段戦4位
1947 2 C級4位
1948 3 B級
1949 4 B級
1950 5 B級
1951 6 B級
1952 7 B114
1953 8 B105
1954 9 A 10
1955 10 A 08
1956 11 B103
1957 12 B108
1958 13 B105
1959 14 B103
1960 15 A 10
1961 16 B102
1962 17 B107
1963 18 B111
1964 19 B114
1965 20 B103
1966 21 B111
1967 22 B109
1968 23 B114
1969 24 B202
1970 25 B214
1971 26 B211
1972 27 B218
1973 28 B213
1974 29 B214
1975 30 B221
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

脚注

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  1. ^ 天狗太郎『将棋金言集』(時事通信社)P.44
  2. ^ a b c 「名勝負今昔物語 米長邦雄」週刊現代、2011年6月11日号 p137
  3. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  4. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

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