松永浩典
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県長崎市 |
生年月日 | 1984年2月24日(40歳) |
身長 体重 |
175 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 希望入団枠 |
初出場 | 2006年5月21日 |
最終出場 | 2012年10月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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松永 浩典(まつなが ひろのり、1984年2月24日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]長崎市立蚊焼小学校、長崎市立三和中学校を経て長崎海星高等学校に進学した。
2000年秋季九州大会でエースで4番を務め、投打にわたって活躍し4強入り、注目を浴びるようになる。翌2001年春の第73回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦で仙台育英学園高等学校と対戦。試合は仙台育英の左腕エース・芳賀崇との投手戦となったが、延長10回の末に3-4でサヨナラ負けを喫した。なお、仙台育英はこの大会で準優勝している。夏は長崎大会3回戦で諫早高校に4-5のサヨナラ負けを喫し、春夏連続出場はならなかった。
高校卒業後は社会人野球の三菱重工長崎に入社し、前年にプロ入りした杉内俊哉の背番号18を受け継ぎ、「杉内2世」とも呼ばれた。入社早々から投手としてオープン戦に登板機会を与えられ、細身ながら130km/h前後の速球と80km/h台のスローカーブを繰り出し、社会人の強打者を相手に思い切りのいい投球を披露した。その後、トレーニングの成果で逞しくなり、球速が145km/hを記録するなど球威もついてきたが、肩や手の故障もあり伸び悩んだ時期もあった。2005年には一時外野手転向も考えたが、投手出身の牧瀬寅男監督から投手続行を勧められ、思いとどまった。社会人4年目を迎えた同年は思い切りのよさが戻り、JABA岡山大会、JABA九州大会では優勝に貢献するなど春先から好投が続いた。都市対抗野球大会、社会人野球日本選手権大会では目立った戦績を残せなかったが、素材の良さを買われて、同年の大学・社会人ドラフトにおいて希望枠で西武ライオンズ入団が決定した。
西武時代
[編集]2006年は序盤に2度先発したがいずれも4回途中で降板し二軍落ち。しかし再昇格した夏場に存在感を見せ、8月3日の千葉ロッテマリーンズ戦にて、6回1死までを1失点、8奪三振の投球を見せ、プロ初勝利を挙げた。続く登板では完投勝利を挙げ、先発ローテーションに加わり、ルーキーながらプレーオフ第2戦で先発を任されるという信頼も勝ち取った。しかし、左打者相手には3割打たれた。同年、二軍の優秀選手を受賞している。
2007年は左腕エースの帆足和幸がケガで出遅れたため開幕から先発ローテーションの一角として期待され、初登板で好投し2年目の飛躍を期待させた。しかしそれ以降は安定感を欠く投球が続き、一軍登板は7試合にとどまった。29回1/3を投げて19四球を記録するなど、防御率こそ2.45だったが、6度の先発のうち4度は5回までに降板するなど、失点は少なくても序盤で交代させられることが多かった。
2008年4月18日、高校時代から9年にわたり交際していた女性と結婚したことが報じられた[1]。同年は二軍で規定投球回に達するも、一軍登板は無しに終わる。しかし、日本シリーズ出場選手登録枠の40人には選ばれた。
2009年は開幕時は二軍スタート、主に4月中と8月以降シーズン終了までは一軍で中継ぎとして投げるが防御率は5点台を記録。この年プロ初セーブをあげる。
2010年は前年から登板試合数を大きく減らす。シーズン終盤から秋季キャンプにかけ、やや腕を下げたフォームにモデルチェンジしている。
2011年は主に6月から8月半ばまで、2012年はシーズン通して一軍で投げ中継ぎ陣の一角を担った。
2013年の春季キャンプ中に左肩を痛め、シーズン途中に手術した[2]。
2014年、10月7日に球団から戦力外通告を受けた[3]。12月2日、自由契約公示された[4]。
現役引退後
[編集]引退後は株式会社トラバース(チームメイトだったG.G.佐藤の実父が経営する測量会社)に入社し、福岡営業部に所属していた。
2022年に故郷である長崎県の水産会社に入社し、シマアジや真鯛などを販売する直売店の店長に就任した[5]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2006 | 西武 | 11 | 9 | 1 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 221 | 51.1 | 47 | 8 | 19 | 0 | 4 | 46 | 1 | 0 | 29 | 24 | 4.21 | 1.29 |
2007 | 7 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 130 | 29.1 | 25 | 4 | 19 | 0 | 2 | 14 | 0 | 0 | 10 | 8 | 2.45 | 1.50 | |
2009 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 1 | .500 | 97 | 21.1 | 18 | 0 | 15 | 0 | 1 | 15 | 2 | 0 | 13 | 12 | 5.06 | 1.55 | |
2010 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 18 | 3.2 | 5 | 0 | 3 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0.00 | 2.22 | |
2011 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 85 | 21.0 | 17 | 1 | 3 | 0 | 3 | 11 | 1 | 0 | 7 | 3 | 1.29 | 0.95 | |
2012 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 12 | .667 | 173 | 40.2 | 44 | 4 | 7 | 1 | 2 | 31 | 1 | 0 | 17 | 16 | 3.54 | 1.25 | |
通算:6年 | 124 | 15 | 1 | 0 | 0 | 9 | 8 | 1 | 14 | .529 | 724 | 167.1 | 156 | 17 | 66 | 2 | 12 | 118 | 6 | 0 | 77 | 63 | 3.39 | 1.33 |
記録
[編集]- 初登板・初先発登板:2006年5月21日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、3回7失点(自責点4)で敗戦投手
- 初奪三振:2006年5月28日、対阪神タイガース3回戦(インボイスSEIBUドーム)、1回表に金本知憲から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2006年8月3日、対千葉ロッテマリーンズ13回戦(千葉マリンスタジアム)、6回1/3を1失点
- 初完投勝利:2006年8月10日、対オリックス・バファローズ15回戦(京セラドーム大阪)、9回1失点
- 初セーブ:2009年9月10日、対北海道日本ハムファイターズ18回戦(西武ドーム)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初ホールド:2009年9月16日、対千葉ロッテマリーンズ20回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に2番手で救援登板、2/3回を無失点
背番号
[編集]- 24 (2006年 - 2010年)
- 38 (2011年 - 2014年)
脚注
[編集]- ^ 松永 9年の交際実らせ結婚 スポニチ Sponichi Annex
- ^ 【西武】松永400万減 ケガで貢献できず 日刊スポーツ
- ^ 埼玉西武ライオンズ選手来季契約について西武球団公式サイト2014年10月7日配信
- ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
- ^ “戸石ゆうこうシマアジ・マダイ直売店 1日オープン 店長は元プロ野球選手”. 長崎新聞 (2022年8月31日). 2023年5月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 松永浩典 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube