コンテンツにスキップ

松平頼慶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 頼慶
時代 江戸時代中期
生誕 延宝7年7月29日1679年9月4日
死没 寛保2年1月6日1742年2月10日
改名 知之助(幼名)→頼慶
戒名 登竜院殿頚誉松山寿栄大居士
墓所 茨城県常陸太田市瑞龍山
官位 従五位下淡路守大炊頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
常陸宍戸藩
氏族 水戸徳川家支流宍戸松平家
父母 父:松平頼道、母:於愛
正室:なし
側室:実相院
本姫、頼多
テンプレートを表示

松平 頼慶(まつだいら よりのり)は、江戸時代中期の大名常陸国宍戸藩3代藩主。官位従五位下淡路守大炊頭

略歴

[編集]

2代藩主・松平頼道の長男。母は鈴木重政の娘於愛。幼名は知之助。

享保6年(1721年)、父の死去により跡を継ぐ。寛保2年(1742年)正月6日、64歳で死去し、跡を長男・頼多が継いだ。法号は登竜院殿頚誉松山寿栄大居士。墓所は茨城県常陸太田市瑞龍山

狩野派の画に優れていたと言われる。

系譜

[編集]