松平直好
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄14年9月25日(1701年10月26日) |
死没 | 元文4年2月16日(1739年3月25日) |
別名 | 通称:善次郎 |
戒名 | 顕松院 |
墓所 | 東京都府中市多磨町の多磨霊園 |
官位 | 従五位下、兵庫頭、河内守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 越後糸魚川藩主 |
氏族 | 久松松平家→清崎松平家 |
父母 |
父:松平定員、母:島田氏 養父:松平直之 |
兄弟 | 直好、定卓、中川久敦[1] |
妻 |
正室:本多助芳の娘 継室:水野勝政の娘 |
子 | 近栄、直経、堅房、上田安虎室ら |
松平 直好(まつだいら なおよし)は、江戸時代中期の大名。越後国糸魚川藩の第2代藩主。官位は従五位下・兵庫頭、河内守。
生涯
[編集]元禄14年(1701年)9月25日、旗本・松平定員(さだかず、松平康尚の五男)の長男として誕生。
享保3年(1718年)、糸魚川藩初代藩主・松平直之の死去により、その養嗣子となって跡を継いだ。享保11年(1726年)7月に大坂加番、享保12年(1727年)に馬場先御門番、日光祭礼奉行などを務めた。そのための出費と江戸屋敷の焼失(享保16年(1731年))などが重なり藩財政が悪化した。
元文4年(1739年)2月16日に死去した。享年39。跡を四男・堅房が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室、継室
側室
- 石原氏
子女