松平乗羨
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政2年12月23日(1791年1月27日) |
死没 | 文政10年8月23日(1827年10月13日) |
改名 | 左七郎(幼名)→乗羨 |
戒名 | 乗誉道哲宗安厚徳院 |
墓所 | 東京都港区赤坂の浄土寺 |
官位 | 従五位下縫殿頭 |
幕府 | 江戸幕府大坂加番、大番頭、二条城在番 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 三河奥殿藩主 |
氏族 | 大給松平家 |
父母 | 父:松平乗友、養父:松平乗尹 |
兄弟 |
乗羨、渡辺規綱、精中宗室、 畠山国祥正室、筧正隅養女、 馬場某室、小野某室ら |
妻 | 正室:池田政恭養女 |
子 | 乗利、媛、吉田某室 |
松平 乗羨(まつだいら のりよし)は、江戸時代後期の大名。三河国奥殿藩6代藩主。真次流大給松平家9代。官位は従五位下・縫殿頭。
生涯
[編集]寛政2年(1790年)12月23日、4代藩主・松平乗友の長男として江戸で誕生。父の隠居後に誕生したため、5代藩主は叔父・乗尹が継いでいた。寛政11年(1799年)6月5日、乗尹の養子となる。享和2年(1802年)12月6日、乗尹の隠居により家督を継いだ。文化3年(1806年)9月15日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。
しかし藩政の実権は文政7年(1824年)まで隠居していた実父・乗友が掌握していたため、飾りの藩主に等しかった。文化3年(1806年)12月15日に従五位下・縫殿頭に叙位・任官する。その後は幕命により江戸城御門番役や二条城在番、大番頭などを歴任した。
文政10年(1827年)8月23日に江戸で死去。享年38。跡を長男・乗利が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 池田政恭の養女
子女