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松平乗武

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松平 乗武(まつだいら のりたけ、1919年(大正8年)10月26日[1] - 1945年(昭和20年)5月29日)は、日本の海軍軍人(海軍大尉)。岩村松平家9代当主・子爵松平乗長の次男。10代当主・松平乗文の弟。鷹司家28代当主・鷹司尚武の父。妻は鷹司信輔の次女・章子(ふみこ)。

学習院高等科京都帝国大学経済学部卒業。1942年(昭和17年)9月、海軍予備学生となり、東港海軍航空隊に入隊。1943年(昭和18年)4月、海軍機雷学校に入校[2]。1945年(昭和20年)2月20日、海軍対潜学校特修科学生となり、5月29日、総合実習のため附属艇第一敷設艇(曳船公称第七七六号)に乗船し、千葉県安房郡富崎村(現・館山市)布良沖を航行中、アメリカ軍のB-24機と交戦し、左舷に至近弾を受けて沈没、戦死[3]。25歳没。墓は東京都台東区谷中の谷中霊園にある。

脚注

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.630
  2. ^ 『桜華余芳 : 殉国水桜会会員の記録』(水桜会、1963年)p.381
  3. ^ 『桜華余芳 : 殉国水桜会会員の記録』(水桜会、1963年)p.382