コンテンツにスキップ

松山村 (岡山県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まつやまそん
松山村
廃止日 1929年5月10日
廃止理由 新設合併
高梁町(初代)、松山村高梁町(2代)
現在の自治体 高梁市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
上房郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,864
国勢調査、1920年)
隣接自治体 高梁町、津川村玉川村高倉村落合村大和村富山村
松山村役場
所在地 岡山県上房郡松山村
座標 北緯34度47分08秒 東経133度36分54秒 / 北緯34.78542度 東経133.61497度 / 34.78542; 133.61497座標: 北緯34度47分08秒 東経133度36分54秒 / 北緯34.78542度 東経133.61497度 / 34.78542; 133.61497
特記事項 座標は現在の高梁公民館の位置
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

松山村(まつやまそん)は、岡山県上房郡にあった自治体である。

概要

[編集]

現在の高梁市のうち松山および、1974年から1975年に設定された横町・段町・中原町・旭町・栄町・東町・松原通・正宗町・浜町・和田町・奥万田町・上谷町・下谷町・原田北町・原田南町に当たる[1][2][3]

明治維新時には松山東村・松山西村に分かれていた[1]

沿革

[編集]
  • 明治2年11月 - 備中松山藩が高梁藩と改称。この時に松山東村・松山西村が高梁東村・高梁西村に改称する[1]
  • 1875年(明治8年)6月28日 - 高梁東村と高梁西村が合併して高梁村となる[1]
  • 1878年(明治11年)1月15日 - 高梁村を松山村と改称する[1]
  • 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足により、上房郡第二部戸長役場を松山村に設置し同村を管轄。同年11月、区域の改正により旧第一部(高梁城下25町を管轄)が2つに分かれたことにより、松山村の旧第二部が第三部戸長役場となる[1][4]
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、自治体としての松山村が発足。大字は編成せず[1][4]
  • 1929年(昭和4年)5月10日 - 高梁町(初代)と合併し、新たに高梁町(2代)が発足。大字松山となる[1][2][5]

行政

[編集]

歴代村長

[編集]
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
柳井重宣 1889年(明治22年)7月23日 1890年(明治23年)3月21日
2 横山伝之丞 1890年(明治23年)4月8日 1892年(明治25年)4月18日
3 須山平三郎 1892年(明治25年)5月20日 1894年(明治27年)3月10日
4-8 荘直温 1894年(明治27年)4月25日 1914年(大正3年)3月25日 前・高梁町長。
1923年9月から再び同町長を務めた。
9-11 中島直治郎 1914年(大正3年)8月28日 1926年(大正15年)8月27日
12 横山平左衛門 1926年(大正15年)8月28日 1929年(昭和4年)5月9日
参考文献 - [1][6]

交通

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 岡山県市町村合併誌 市町村編287-315頁(岡山県、1960年)
  2. ^ a b 角川日本地名大辞典 岡山県「松山村(近代)」
  3. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「松山(近代)」
  4. ^ a b 岡山県市町村合併誌 総編(岡山県、1960年)
  5. ^ 「町村廃置」『官報』1929年05月10日国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 高梁歴史人物辞典

関連項目

[編集]