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松山二三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松山 二三郎(まつやま にさぶろう、1881年10月10日 - 1991年4月3日)は男性長寿日本一であった石川県の男性。

人物

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石川県小松市出身。

寺子屋で学んだ後、家業の農業に従事[1]。長男ら家族8人で暮らし、子7人、孫16人、ひ孫29人、やしゃご4人がいた。妻は1949年に亡くなった。耳が少し遠く、足腰は弱っていたが、103歳頃までは自宅から500メートル離れた畑にまで出かけ、毎日農作業に精を出していた[2]。106歳頃から横になっていることが多くなった。

1990年3月6日、藤原喜一が109歳で亡くなったことにより、松山が108歳で長寿日本一の男性となる。

男性長寿日本一となった際「おかげさまで。みんなにかわいがられて」と何度もお礼を述べた[3]。普段から110歳まで生きることを目標にしていた。

食欲旺盛で、卵とウナギが大好物だった。長寿の秘けつについて「三度の食事はキチンと取る。好き嫌いなく腹八分目」と語っていた[4]

1990年9月発表の長寿番付では、全国10番目の長寿であった[2]

1991年4月3日、老衰により石川県小松市の自宅で亡くなる。109歳[4]。男性長寿日本一は原志免太郎になった。

脚注

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  1. ^ 朝日新聞、1991年4月3日19面「松山二三郎さん死去 男性長寿日本一の109歳 石川」
  2. ^ a b 読売新聞、1990年9月11日19面「⻑寿番付 ⽇本⼀・⽩浜さん 「よく働き正直に…」で112歳」
  3. ^ 朝日新聞、1990年3月9日2面「松⼭⼆三郎さん 男で⻑寿⽇本⼀」
  4. ^ a b 中日新聞、1991年4月3日夕刊11面「男性⻑寿⽇本⼀ 109歳松⼭⼆三郎さん死去」