松尾守治
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松尾 守治(まつお もりじ / もりはる、1892年(明治25年)10月9日[1] - 1973年(昭和48年)8月19日[1])は、大正から昭和期の土木技術者、内務技官、政治家。山口県下関市長。旧姓・市川。
経歴
[編集]山口県[1]で市川直彦の七男として生まれ、松尾琢三(衆議院議員松尾寅三の長男、馬関電灯取締役)の養子となる[2]。1913年(大正2年)旧制第三高等学校を卒業[要出典]。1917年(大正6年)九州帝国大学工科大学土木工学科を卒業[1][2][3]。一年志願兵として入隊した[1]。
1919年(大正8年)内務省に入省し、下関土木出張所、神戸土木出張所で勤務[1][2]。1924年(大正13年)欧米に出張し港湾施設を視察[1]。帰国後、下関土木出張所に配属され、下関港、門司港の修築工事を担当した[1]。1929年(昭和4年)博多港修築工事の起工に伴い初代博多港工事事務所長に就任し、1942年(昭和17年)最後の下関土木出張所長に転じた[1][2]。1943年(昭和18年)初代運輸通信省第四港湾建設部長に就任し[1][2]、1945年(昭和20年)に退官した[1]。
1946年(昭和21年)3月、山口県下関市長に就任し、1951年(昭和26年)3月まで2期在任し、復興事業の実施、行政組織の改編、新制中学校8校の開校など、下関市の戦後復興に尽力した[1][2]。
初代の洞海港務局委員長(1955-64年)に就任し、また、福岡建設専門学校の開設に係わり、下関市立図書館へ寄付と蔵書の寄贈により松尾文庫を設けた[1]。
人物
[編集]伝記
[編集]- 松尾守治氏を偲ぶ編集委員編『松尾守治氏を偲ぶ』温古会、1974年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。
- 高橋裕、藤井肇男共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。