松尾 卯一太(まつお ういった、1879年1月27日 - 1911年1月24日)は、社会主義者である。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人。
熊本県出身。熊本県尋常中学校卒業。1907年新美卯一郎と『熊本評論』を創刊し、発行人兼編集人を務める(1908年9月20日廃刊)。1909年上京し、『平民評論』を創刊するが発行禁止。1910年の幸徳事件(大逆事件)に連座し刑死となった。享年31。
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