松園家
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松園家 | |
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本姓 | 藤原北家二条家庶流 |
家祖 | 松園隆温 |
種別 |
公家 華族(男爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 |
山城国 堺県添上郡 東京市世田谷区 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
松園家(まつぞのけ[1][2])は、藤原北家二条家庶流にあたる華族の男爵家。いわゆる「奈良華族」の一家[3]。
歴史
[編集]左大臣二条治孝の十九男松園隆温は、奈良興福寺大乗院門跡となったが、明治元年(1868年)4月に勅命により復飾し、明治2年(1869年)2月に家名を松園と定め、3月に堂上格を与えられた[4][5]。
明治3年に定められた松園家の家禄は、現米で220石[6]。明治8年(1875年)3月に九条尚忠の第二子で隆温の養子にして法弟となっていた松園尚嘉が家督を継いで華族に列した[4][5]。
明治9年の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と引き換えに支給された金禄公債の額は、7910円40銭(華族受給者中430位)[7]。明治前期に尚嘉の住居は、堺県添上郡にあった[8]。
明治17年(1884年)7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、翌8日に男爵に叙された[3]。その後治忠が男爵位を継いだのを経て、鷹司熙通公爵の三男信淳が治忠の養子に入って爵位を継いだ[4]。彼の代に松園男爵家の邸宅は東京市世田谷区下馬町にあった[4]。
系図
[編集]- 実線は実子、点線(縦)は養子。
松園隆温1[† 1] | |||||||||||||||||
尚嘉2[† 2] | |||||||||||||||||
治忠3 | |||||||||||||||||
信淳4[† 3] | |||||||||||||||||
裕6[† 4] | 乗光5[† 5] | ||||||||||||||||
公 | 淳 | ||||||||||||||||
系譜注
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 太田 1934, p. 3609.
- ^ 森岡浩 2012, p. 455.
- ^ a b 小田部雄次 2006, p. 341.
- ^ a b c d 華族大鑑刊行会 1990, p. 545.
- ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 582.
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 29.
- ^ 石川健次郎 1972, p. 64.
- ^ 石井孝太郎『国立国会図書館デジタルコレクション 明治華族名鑑』深沢堅二、1881年(明治14年) 。
参考文献
[編集]- 石川健次郎「明治前期における華族の銀行投資―第15国立銀行の場合―」『大阪大学経済学』第22号、大阪大学経済学部研究科、1972年、27 - 82頁。
太田, 亮 著「国立国会図書館デジタルコレクション 松園家 マツゾノ」、上田, 萬年、三上, 参次 監修 編『姓氏家系大辞典』 第1巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、3609頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『昭和新修華族家系大成 別巻 華族制度資料集』霞会館、1985年(昭和60年)。ISBN 978-4642035859。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年(平成8年)。ISBN 978-4642036719。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
- 森岡浩『日本名門・名家大辞典』東京堂出版、2012年(平成24年)。ISBN 978-4490108217。