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杵家彌七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

杵家 彌七(きねいえ やしち)は、長唄三味線方の名跡。新字体は弥七。初代から3代目を杵屋、4代目以降を杵家(きねいえ)とした。当代6代目。2代目から5代目までが女性。

  • 俗に初代杵屋彌七 - 初代杵屋彌十郎
  • 俗に2代目杵屋彌七 - 初代彌十郎の門弟。

初代

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(生年不詳 - 明治7年(1874年8月8日

3代目杵屋彌十郎の門弟で1834年11月に彌七を名乗る。

2代目

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1874年に2代目彌七を名乗る。女性。

3代目

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1916年に3代目彌七を名乗るも同年死去。女性。

4代目

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(明治23年(1890年12月10日 - 昭和17年(1942年12月17日)本名は赤星よう。

東京京橋の生まれ、伊丹の商人坂上与三郎と初代杵家七媼の次女。12代目杵屋六左衛門5代目杵屋勘五郎に師事し彌壽治となり1916年に3代目彌七死去に伴い4代目彌七を襲名。1930年より従来杵屋彌七だったのを杵家彌七と表記させた。洋楽にも精通し夫は赤星國清。4代目を記念して、杵家会館は、「四世杵家彌七生誕百年記念会館」という名前が付けられている。

5代目

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大正5年(1916年8月5日 - 平成17年(2005年3月3日)本名は赤星輝子。

東京の生まれ、4代目彌七の娘。1949年に5代目彌七を襲名。1983年1月に長男に彌七の名を譲り2代目杵家七媼を襲名し引退した。

6代目

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(昭和23年(1948年1月12日 - )

5代の長男として東京都杉並区に生まれる。本名・赤星輝幸。1970年成城大学文芸学部卒。1966年5月に堅田喜七、1970年4月に初代杵家彌祐を経て1983年1月に先代から譲られ6代目彌七を襲名。[1]

脚注

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  1. ^ 『杵家史』121p

外部リンク

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