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東郷安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東郷安
とうごう やすし
生年月日 1895年7月5日
没年月日 (1946-02-06) 1946年2月6日(50歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学大学院修了
東京帝国大学法科大学政治学科卒業
前職 南洋協会理事
所属政党 公正会
称号 旭日重光章
正三位
配偶者 東郷タツ
親族 伯父・東郷龍雄(福井市長)

在任期間 1911年7月10日 - 1946年2月6日
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東郷 安(とうごう やすし、1895年明治28年)7月5日[1] - 1946年昭和21年)2月6日[1][2])は、明治から昭和期の実業家政治家華族貴族院男爵議員

経歴

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福井藩士、海軍士官東郷正路の長男として生まれる[1][3][4][5]1906年(明治39年)父の死去に伴い家督を相続[6]1907年(明治40年)10月2日、父・正路の勲功により男爵を叙爵した[1][3][7]

1907年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し[2][3][8]、さらに同大学院を修了した[2]

横浜正金銀行に入行[3][4][5]。その後横河電機製作所取締役社長、日本無線電信常務取締役、横河橋梁製作所監査役、福寿生命保険相談役、国際電気通信顧問、日本美術協会副会頭、南洋協会理事などを務めた[3][6]

1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[9][10]公正会に属して活動し死去するまで5期在任した[2][11]。その他、関税調査委員会委員、中央酒類委員会委員、教科書調査会委員などを務めた[2][6]

栄典

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

著作

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  • 『南洋新占領地の経済的価値』東郷安、1915年。

親族

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  • 母 きり(福井藩士・中野文二郎二女)[1][4]
  • 妻 タツ(横河民輔長女)[1]
  • 長男 安正(男爵)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』139頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』78頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』ト21頁。
  4. ^ a b c 『華族畫報 下』559頁。
  5. ^ a b 『大日本華族大鑑』追加之部15頁。
  6. ^ a b c 『財界二千五百人集』440頁。
  7. ^ 『官報』第7280号、明治40年10月3日。
  8. ^ 『東京帝国大学一覧 明治40-41年』東京帝国大学、1907年、学士及卒業生姓名137頁。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
  10. ^ 『官報』第8423号、明治44年7月20日。
  11. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、54頁。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 故勲二等男爵東郷安勲章加授の件」 アジア歴史資料センター Ref.A18110002400 
  13. ^ a b 『官報』第5747号「叙任及辞令」1946年3月13日。

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 『財界二千五百人集』財界二千五百人集編纂部、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
東郷(正路)家初代
1907年 - 1946年
次代
東郷安正