東福寺 (渋谷区)
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東福寺 | |
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東福寺 (平成27年5月3日撮影) | |
所在地 | 東京都渋谷区渋谷三丁目5番地8号 |
位置 | 北緯35度39分28.18秒 東経139度42分23.60秒 / 北緯35.6578278度 東経139.7065556度座標: 北緯35度39分28.18秒 東経139度42分23.60秒 / 北緯35.6578278度 東経139.7065556度 |
山号 | 渋谷山 |
宗旨 | 天台宗[1] |
本尊 | 阿弥陀如来、兜建観音 |
創建年 | 承安3年(1173年) |
開山 | 円鎮僧正[1] |
正式名 | 渋谷山親王院東福寺 |
文化財 |
木造薬師如来坐像(区指定有形文化財) 銅造菩薩立像(区指定有形文化財) 木造不動明王立像(区指定有形文化財) 梵鐘(区指定有形文化財) |
法人番号 | 7011005000449 |
東福寺(とうふくじ)は、東京都渋谷区渋谷三丁目5番8号にある、天台宗の寺院。山号は渋谷山(しぶやさん)[2]。
沿革
[編集]- 1046年(永承) – 1068年(治暦年間)武蔵の豪族・河崎基家、谷盛庄渋谷郷(現在地)に八幡宮を勧請。別当寺・親王院を建立。
- 1070年(延久2年) – 円鎮生れる。
- 1091年(寛治5年) – 源義家、金王八幡社を修理す。
- 1092年(寛治6年) – 義家、平将門の乱のとき源経基が宿泊した宿所を一寺とし親王院と称す。
- 1141年(永治元年) – 渋谷重家、子のなきを憂い八幡宮へ祈願し、8月15日、金王丸生まる。
- 1156年(保元元年) – 保元の乱、渋谷金王丸、源義朝の先陣にて戦功をあぐ。金王丸の守護仏・観音菩薩が軍卒に化現し守護し給うという。
- 1173年(承安3年)5月15日 – 円鎮、堂宇を整う。よって円鎮を当寺開山とす。
- 1181年(養和元年) – 開山・円鎮示寂す(111歳)。
- 1191年(建久2年) – 頼朝、金王八幡宮を建立。鶴谷山と名付く[1]。
- 1202年(建仁2年) – 渋谷高重、住持円證に帰依し新たに伽藍を建立。渋谷山常照院円證寺と改む。
- 1500年(明応9年) – 村岡五郎左衛門重義が『金王八幡神社社記』を記す。
- 1524年(大永4年) – 北条、上杉の合戦により、当寺及び八幡社焼失。
- 1615年(元和元年) – 大坂夏の陣。10月、青山忠俊八幡社・当寺を造営。
- 1690年(元禄3年) – 東福寺より作事願いが提出され、社殿・堂宇建立。
- 1704年(宝永元年) – 第三十七世・慧順によって梵鐘が鋳造され、鐘楼堂建立され寺要整う。
- 1746年(延享3年) – 東福寺門前(表間口30間3尺)町奉行支配となる。俗に金王門前とよぶ。
- 1751年-1763年(宝暦年間) – 信州上田藩主・松平伊賀守忠順、八幡社、当寺の社殿、堂宇を修復する。
- 1769年(明和6年)6月 – 八幡社に初めて冠木門(かぶきもん)を新築する。
- 1801年(享和元年)6月 – 丹波篠山城主・青山忠裕が金150両を寄附して八幡社、当寺を修復する。
- 1804年-1817年(文化年間) – 太白堂門人山奴社中により芭蕉句碑が境内に建立される。
- 1840年(天保11年) – 寺運衰退し、社殿、堂宇の荒廃いちじるしく、第四十五世・舜教、鈴木雅可の助力を得て浄財を集め、八幡社、当寺を修復。
- 1868年(慶応4年) – 江戸幕府の崩壊。
- 1877年(明治10年) – 『寺院明細簿』を提出。宝泉寺住職・渡辺智徳が兼務す。
- 1917年(大正6年)12月17日 – 第五十一世・宗円によって当寺の本堂落慶。
- 1923年(大正12年)9月1日 – 関東大震災。当寺も罹災。直ちに修復す。
- 1945年(昭和20年)3-5月 – 空襲。渋谷区内の寺社のほとんどが壊滅状態に陥るが当寺は無事。
- 1984年(昭和59年)11月27日 – 落慶法要[3]。
文化財
[編集]梵鐘(区指定有形文化財[4]、昭和51年3月26日指定) 木造薬師如来坐像(区指定有形文化財、平成20年2月28日指定) 銅造菩薩立像(善光寺式阿弥陀如来脇侍像)(区指定有形文化財、平成20年2月28日指定) 木造不動明王立像(区指定有形文化財、平成26年11月4日指定)
歴代略譜
[編集]- 開山 円鎮 養和元年2月7日示寂
- 二世 承鎮 文治5年12月1日示寂
- 三世 永鎮 建久6年3月6日示寂
- 四世 永海 正治元年10月25日示寂
- 五世 公謹 承元3年1月16日示寂
- 六世 円證 建保6年8月9日示寂
- 七世 光珍 建保4年10月7日示寂
- 八世 覚弁 元仁元年2月13日示寂
- 九世 忠弁 仁治3年9月29日示寂
- 十世 忠海 仁治3年4月3日示寂
- 十一世 邦恵 康元元年11月8日示寂
- 十二世 恵城 文永9年8月27日示寂
- 十三世 恵運 弘安10年5月11日示寂
- 十四世 良運 弘安5年7月3日示寂
- 十五世 良源 永仁2年2月20日示寂
- 十六世 智隆 正和3年6月12日示寂
- 十七世 智慶 正和元年4月26日示寂
- 十八世 学慶 正中2年10月17日示寂
- 十九世 公順 元弘元年12月26日示寂
- 二十世 能證 康永3年1月23日示寂
- 二十一世 季澄 貞和4年3月15日示寂
- 二十二世 尊緑 於信州逝去
- 二十三世 禅隆 長禄2年1月28日示寂
- 二十四世 甲見 未知死所
- 二十五世 栄山 未知死所
- 二十六世 蓮心 未知死所
- 二十七世 観政 天正10年10月於信州逝去
- 二十八世 眞成 未知死所
- 二十九世 秀円 慶長15年8月21日示寂
- 三十世 慶順 寛永18年9月18日示寂
- 三十一世 尊慶 天和元年6月2日示寂
- 三十二世 尊忠 天和3年11月5日示寂
- 三十三世 円雄 延宝4年3月15日示寂
- 三十四世 晋海 貞享4年4月29日示寂
- 三十五世 順海 貞享2年12月10日示寂
- 三十六世 寛光 元禄5年9月6日示寂
- 三十七世 慧順 宝永3年5月8日示寂
- 三十八世 栄範 享保17年8月3日示寂
- 三十九世 栄傳 安永2年1月10日示寂
- 四十世 栄珠 寛政元年6月14日示寂
- 四十一世 義龍 文化6年11月27日示寂
- 四十二世 栄州 文化4年示寂
- 四十三世 賢道 未知死所
- 四十四世 観典 文化10年10月26日示寂
- 四十五世 舜教 未知死所
- 四十六世 栄癒 未知死所
- 四十七世 祐眞 弘化4年2月25日示寂
- 四十八世 静祐 未知死所
- 四十九世 舜栄 慶応2年6月10日示寂
- 五十世 亮光 品川常行寺にて逝去
- 五十一世 宗円 正和3年8月8日示寂
- 五十二世 宗諦 正和35年1月9日示寂
- 五十三世 宗純
交通
[編集]- JR山手線、JR湘南新宿ライン – 渋谷駅より徒歩10分
- 京王井の頭線 – 渋谷駅より徒歩12分
- 東横線、田園都市線 – 渋谷駅より徒歩8分
- 東京メトロ銀座線 – 渋谷駅より徒歩10分、東京メトロ半蔵門線、東京メトロ副都心線 – 渋谷駅より徒歩8分
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 中豊沢村.
- ^ 樋口清之,田村善次郎共編『渋谷の歴史 : 渋谷昔ばなし』渋谷氷川神社、1954年11月、304頁。
- ^ 清水宗純監修『渋谷山東福寺誌』東福寺略年譜、渋谷山親王院東福寺発行、1985年(昭和60年)7月吉日、平成27年5月2日閲覧
- ^ 佐藤昇『渋谷区史跡散歩』学生社、1992年6月10日、127頁。ISBN 4311419635。
参考文献
[編集]- 樋口清之、田村善次郎編著者『渋谷の歴史・渋谷昔ばなし』渋谷氷川神社発行、1954年(昭和29年)11月15日。「東福寺の庚申塚」83頁、「東福寺の鐘銘」98頁、「東福寺」287頁、平成27年5月2日閲覧。
- 清水宗純監修『渋谷山東福寺誌』渋谷山親王院東福寺発行、1985年(昭和60年)7月吉日、平成27年5月2日閲覧。
- 「中豊沢村 東福寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ10豊島郡ノ2。NDLJP:763976/86。
関連項目
[編集]- 付近
外部リンク
[編集]- 天台宗東京教区・渋谷山親王院東福寺 – 公式サイト
- 渋谷区教育委員会、区指定文化財
- 渋谷山東福寺